2021年03月02日
もしも誰かと入れ替われるなら……
昔なら映画 『転校生』、最近ではアニメ映画の 『君の名は。』 やテレビドラマ 『天国と地獄』。
共通するのは、主人公の男女が入れ替わってしまうという奇想天外なストーリーです。
でも、“入れ替わり” といえば、少々地味ですが、僕は北村薫の小説 『スキップ』 を思い浮かべます。
舞台は、昭和40年代の初め。
主人公の少女は17歳の高校2年生。
ある日、学校から帰って家でレコードを聴いていると……
うたた寝から目覚めると、そこは!
なんと25年後の未来。
しかも、タイムスリップなどではなく、42歳になった自分だったのです。
初めて見る未来の自分。
体はオバサンで、心は17歳のまま。
しかも、夫がいて、娘もいます。
娘の年齢は自分と同じ17歳、高校2年生だったのです。
その日から主人公の少女は、25年の時間を取り戻そうと、懸命に生きだします。
この小説を読んだとき、未来の自分と入れ替わってしまうという、なんとも自由な発想に脱帽しました。
でも、その時、僕は思いました。
未来の自分と入れ替わるのは嫌だけど、過去の自分となら入れ替わりたいかも……と。
実は最近、富に、そう思うようになりました。
理由は、“老いた肉体” に手こずり始めたからです。
目、歯、腰、膝……
加齢とともに、劣化が進んでいます。
加えて最近では、記憶力にも難が出始めました。
人の名前や固有名詞が、なかなか思い出せません。
そんなとき、小説 『スキップ』 が頭をよぎりました。
「未来の自分は見たくないが、若い頃の肉体には戻りたい」
でも、“あの頃に戻りたい” わけではないんです。
時代は “今” で、心も “今”、だけど肉体だけは “あの頃” に戻りたい!
と考えて、ハタと気づきました。
それって、ただのアンチエイジングじゃねーか!って。
僕が一番嫌っている自分の姿をイメージしていたんですね。
いかん、いかん!
やっぱ自然に逆らっては、いかん!
人間だって自然の一部なのですから、“あるがまま” で生きるべきなのだ!
妄想した自分を恥じ、“入れ替わり” は映画やドラマ、小説の中だけで楽しむことにしました。
Posted by 小暮 淳 at 10:57│Comments(0)
│つれづれ