2021年09月27日
ら抜き言葉に御用心
先日、文化庁は2020年度の国語に関する世論調査の結果を発表しました。
メインは、新型コロナウイルスに関連して使われる言葉について。
「そのまま使うのがいい」 が多かった言葉は、「不要不急」 67.2%、「コロナ禍」 66.8%、「3密」 と 「ステイホーム」 61.1%でした。
一方、「ウィズコロナ」 は29.7%と少なかったといいます。
理由は、「説明を付けたほうがいい」 「他の言い方がいい」 という回答が多かったようです。
そもそもカタカナ語は、年代が上がるほど利用頻度が低くなる傾向があります。
実際、僕なんかも日々飛び込んで来るカタカナ語に、振り回されています。
職業柄、昔から机の上には 「カタカナ用語辞典」 が常備されていますが、これが現在は、ほとんど役に立ちません。
テレビを見ていても、新聞を読んでいても、聞いたこともない新しいカタカナ語が、次々と目と耳に飛び込んで来ます。
そんな時はメモしておいて、後でネット検索しています。
が、だいたいの場合、そのまま日本語に訳して使用しても問題ない言葉が、ほとんどです。
どうして、わざわざ英訳してまで、分かりづらくするのでしょうか?
僕には、理解できません。
今回の世論調査では、「ら抜き言葉」 についても及んでいます。
「見れた」 52.5%、「見られた」 46.2%
「来れます」 52.2%、「来られます」 46.4%
と、わずかですが、「ら抜き言葉」 のほうが過半数を超えました。
僕は基本、「ら抜き言葉」は使いません。
でも、最近は聞く分には慣れてきたからでしょうか、だんだん違和感がなくなってきました。
“違和感” といえば、「ら付き言葉」 のほうに違和感を感じる言葉があります。
「食べれる」 です。
正しくは、「食べられる」 ですよね。
「食べことができる」 という意味です。
例) 私はピーマンを食べられる
でも僕は、もう一つの意味に聞こえてしまいます。
例) 私はライオンに食べられる
どうしても能動態ではなく、受動態に聞こえてしまうんです。
これだけは “ら” を抜いたほうが、しっくりくるのですが……
みなさんは、いかがですか?
Posted by 小暮 淳 at 10:24│Comments(0)
│つれづれ