2020年04月25日
一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の二
『リウマチを治した井戸水』
大胡温泉(前橋市) 「旅館 三山センター」 の女将、中上ハツヱさんが、農業を営む主人のもとへ嫁いだのは昭和31(1956)年のことだった。
稼業を手伝うかたわら、綿の行商をしながら生計を立てていた。
「いつか商売がしたい」 と考えていた女将は、13年後、現在地に飲食店を開業した。
さらに13年後の昭和57年には、宿泊棟を増設して、念願の旅館経営を始めた。
この時、大浴場を併設することになり、「水が足りないから」 と主人が井戸を掘り、井戸水を沸かして利用した。
時は流れて、平成6(1994)年の夏のこと。
3人の女性客が3日間滞在して、日に4~5回入浴して帰って行った。
ところが1ヶ月ほどして、また同じ客が訪ねてきて、「ここの湯のおかげで、神経痛が治った」 と礼を言った。
客は、ここが温泉だと思い、湯治に通って来ていたらしい。
「ビックリしましたよ。うちの風呂は、ただの井戸水だと言っても信じてくれないんですから。でも以前から 『良く温まる湯だ』 『湯冷めをしない』 とは言われていたんです」
女将は 「ならば自分の持病のリウマチにも効果があるかもしれない」 と、その日から毎日、2~3回の足湯と朝夕の入浴を欠かさず行った。
すると4ヶ月後には、完全に痛みが消えてしまったという。
「もしかしたら、ただの井戸水ではなく、本物の温泉かもしれない」 と、県に検査を依頼したところ、メタけい酸をはじめとする多くの成分を含む天然温泉であることが判明した。
旅館経営から13年目のことだった。
この事実が口コミで広がり、リウマチや神経痛に苦しむ人たちが噂を聞きつけて、県内のみならず東京や埼玉方面からも大勢の客が、やって来るようになった。
「不思議なことに私の人生は、いつも13年ごとに転機がやって来るのよ」 と笑う。
最愛の主人が他界して6年目の春を迎えた。
今年も旅館をぐるりと囲んで、100本の桜の花が見事に咲いた。
昭和44(1969)年の開業時に、主人が女将のために植えた桜だという。
<2012年5月>
2020年04月23日
一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の一
このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念した特別企画の第2弾として、2012年4月~2014年2月まで 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) にて連載されたコラム 『一湯良談(いっとうりょうだん)』(全22話) を不定期にて紹介いたします。
温泉地(一湯) にまつわるエピソード(良談) をお楽しみください。
『銀行員から湯守になった男』
創業は元禄時代、400年の歴史をもつ沢渡(さわたり)温泉(中之条町)最古の老舗旅館 「まるほん旅館」。
16代目主人の福田智さんは、9年前までは地元の銀行員だった。
仕事で同館を訪れているうちに、すっかり湯の素晴らしさと先代の人柄に惚れ込んでしまった。
ある日のこと。
先代から 「跡継ぎがいないので、旅館を閉めようと思う」 と相談を受けた。
歴史のある旅館と効能豊かな温泉を失うことを、見過ごすことはできなかった。
「ならば自分が継ぎましょう」 と脱サラを決意したが、温泉の使用権は相続人のみが承継するという規約がある。
となると、ただ旅館に入るだけでは済まない。
先代と養子縁組をして、福田姓を名乗らなくてはならなかった。
しかし、彼の決意は固かった。
銀行を退職して、養子縁組の手続きをとった。
当然だが、奥さんと子どもも名字を変えて、旅館に入ることとなった。
「『お湯さえ守っていれば、一生食いっぱぐれはない』 というのが先代の口ぐせ。それほど、ここの湯は良いということです」
と今では、すっかり湯守(ゆもり) の仕事が板についている。
昨年の3月11日。
東日本を未曾有の大地震が襲った。
群馬県内は直接の被害は少なかったものの、あちこちの温泉地で異変が起きていた。
沢渡温泉も例外ではなかった。
地震の直後、ピタリと温泉が止まってしまったのである。
福田さんは、すぐに先代のもとへ報告に行った。
すると先代は、まったく動じることなく、こう言った。
「あわてるでない。心配はいらん。じきに湯は出る」
そして3日後、源泉は何事もなかったように、また以前と変わらずに湧き出した。
一見、不思議な現象のようだが、実は地震の振動により地中の圧力ガスが抜けてしまったため、一時的に温泉を押し上げられなくなっていたのだ。
しばらくして、またガスがたまり、圧力が回復したため、温泉が湧き出したのだった。
そのことを先代は湯守として、長年の経験と培われた勘により知っていたのである。
「まだまだ先代の足元にもおよびません。湯守の世界は奥が深いですね」
そう言って、若き湯守は笑った。
<2012年4月>