2015年04月04日
オヤジの背中
「小暮のこと、ときどき見かけるよ」
バッタリ会った同級生に言われて、瞬時に僕は、テレビや新聞のことを言っているのだと思ってしまいました。
ところが、
「オヤジさんと、よく歩いているよね。えらいね」
あれれ、見られていたんですね。
実家の周辺を散歩している親子の姿です。
そういえば、以前にも知人からこんなメールをもらいました。
「小暮さんとお父様の姿を拝見いたしました。人の優しさと現実に触れた気がしました」
なんだか界隈では目立っているようです。
さぞかし親孝行な息子に映っているんでしょね。
でもね、知人のメールにも書かれていたように “現実に触れた” が真実なんです。
目も見えない、耳も聞こえない。
寝ることと、食べることしか興味がなく、1日を持て余している老人にとって、唯一の楽しみが散歩なんですよ。
我が家の愛犬マロ君と同じです。
でも犬の散歩をしている人を見てもほめないのに、なんで老人と散歩していると殊勝がられるんでしょうか?
僕にとっては、オヤジの散歩もマロ君の散歩も同じことです。
今日もマロ君を散歩させた後、実家に行き、オヤジを誘い出しました。
「じいさん、雨が上がったよ。散歩へ行くかい?」
それはそれは、大喜びでコタツから飛び出してきました。
その喜びようときたら、マロ君以上です。
時にオヤジの手を引いて、時に数歩後ろから見守りながら、ゆっくりとゆっくりと歩きます。
オヤジの背中をみていて、ハッと気づいたことがありました。
あれ、この光景、遠い昔に見たことがある・・・
オヤジの親父、僕の祖父は僕が小学4年生のときに亡くなりました。
オヤジは次男ですけど、当時、祖父を我が家で引き取っていたんですね。
痴呆が進み、暴れ、所かまわずオシッコをたれ流していました。
「じいちゃん、きったねーな! またションベンしちゃたよ」
僕が叫ぶと、オヤジが雑巾を持って、すっ飛んできて、
「しょうがないんだよ。おじいちゃんは病気なんだから」
と言いながら、床を拭いていました。
そして、夕方になると決まって、祖父の手を引いて散歩へ出かけて行ったのです。
僕も、その後を付いて、一緒に歩いたものでした。
オヤジの背中を見ていたら、40年以上も昔の記憶がよみがえってきたんです。
“同じことを繰り返している”
そう思いました。
僕の息子は、僕の背中を見ているんでしょうか?
30年後、僕は息子に手を引かれて、散歩をしているのでしょうか?
Posted by 小暮 淳 at 20:51│Comments(2)
│つれづれ
この記事へのコメント
心に響いたことを伝えたいのですが、いい言葉が浮かびません。とっても歯がゆい気分です。
やっぱり素敵なご家族ですね。先日の息子さんの改まってのご挨拶も、親の背中を見ていてしっかり受け止めているんですね。
う〜ん。ステキ!!
やっぱり素敵なご家族ですね。先日の息子さんの改まってのご挨拶も、親の背中を見ていてしっかり受け止めているんですね。
う〜ん。ステキ!!
Posted by 優・寛の母さん at 2015年04月05日 12:41
優・寛の母さんへ
その歯がゆさに、お礼を申し上げます。
生きていると “言葉にならない言葉” に、何度となく出くわします。
そんな時、僕は 「言葉なんていらない」 と開き直ることにしています。
分かる人には、分かるものです。
ありがとうございます。
その歯がゆさに、お礼を申し上げます。
生きていると “言葉にならない言葉” に、何度となく出くわします。
そんな時、僕は 「言葉なんていらない」 と開き直ることにしています。
分かる人には、分かるものです。
ありがとうございます。
Posted by 小暮 淳 at 2015年04月05日 20:17