2021年09月08日
湯守の女房 (29) 「温泉水で顔を洗うだけ。化粧水も乳液も付けたことはありません」
老神温泉 「牧水苑」 沼田市
「牧水苑(ぼくすいえん)」 の名は、旅を愛し、各地で歌を残した歌人の若山牧水 (1885~1928) からとった。
牧水の著書 『みなかみ紀行』 などによると、牧水は大正11(1922)年10月、老神(おいがみ)温泉を訪れ、1泊している。
「この時、牧水さんを案内したのが、旅館を経営していた私の曽祖父でした」
と、女将の桑原球(たまき)さんは話す。
当時、3軒の宿があったが、内湯はなく、湯治客は片品川の河原の野天風呂に入ったという。
球さんの父母は、「あわしま荘」(現・吟松亭あわしま) を創業し、次女の球さんは高校卒業後、母のもとで若女将として修業した。
ご主人の朝吉さんは20代の頃、森林組合担当の県職員で、球さんの父が村の森林組合長をしていたため、仕事でよく 「あわしま荘」 に泊まった。
その縁でお見合いをし、昭和50(1975)年に結婚した。
朝吉さんは県を退職し、同57年に球さんと 「牧水苑」 を立ち上げた。
老神温泉は 「脚気(かっけ)川場に瘡(かさ)老神」 と言われ、皮膚病に効くとされる。
「アトピー性皮膚炎に効果があるともいわれます」
肌の美容にもいいようで、
「毎晩、化粧を落とした後は、温泉水で顔を洗うだけ。化粧水も乳液も付けたことはありません。私の肌が証明しています」
と笑った。
伝承にもお湯の効果がうたわれる。
昔、赤城山の神 (ヘビ) と日光男体山の神 (ムカデ) が戦い、追われた赤城山の神が、体に受けた矢をこの地に突き刺すと、お湯が湧いた。
その湯に体を浸すと傷はたちまち治り、男体山の神を日光に追い返した。
このため、この地を 「追い神」 と呼ぶようになり、「老神」 になったといわれる。
泉質は弱アルカリ性の単純温泉。
女将13人でつくる 「老神温泉女将の会」 は、温泉水を配合したクレンジングウォーターやスキンローションの企画開発も手がける。
会は平成14(2002)年に 「女将と踊る盆踊りで温泉街を盛り上げよう」 と発足した。
「盆踊りは観光客との交流の場なんです」
牧水苑のロビーでは牧水の掛け軸や写真、関連書籍などを展示している。
「何年か前に、東京在住の牧水さんのお孫さんが訪ねて来られました。思いがけなく祖父の足跡をたどることができたと言って、涙をこぼされていたのが印象的でした」
ファンならずとも、群馬を愛し、上州路を歩きつづけた歌人の足跡に触れると、改めてその偉業に魅せられる。
<2012年7月25日付>
※「牧水苑」 は2020年5月に廃業しました。
Posted by 小暮 淳 at 13:04│Comments(0)
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