2010年08月18日
言葉のチカラ
おかげさまをもちまして、9月17日発行の新刊本『群馬の小さな温泉』の全ページの最終チェックが、今週終了しました。
いよいよ、印刷です!
今月末には、色校(印刷所に出向き、刷り出しの色合い具合をチェックします)となり、色調整の後、本刷りとなります。
発行日は17日に設定していますが、出版社および著者の元には、7日前後には本が届くはずです。書店へは、それからの配送となるので、店頭に並ぶのは9月末~10月の頭になると思います。
最終のチェックとは、編集者の校正が入ったゲラ(印刷前のプリント)を著者自らが、それで良いかどうか、判断する作業です。
これが、なかなか厳しいのです。相手は校正のプロ(編集者)ですから、結構、僕の誤字、脱字をビシバシと見つけ出して、赤字を入れてきます。こう見えて(そう見えるって?)、僕はそそっかしいものですから、文字の打ち間違えや、変換ミスなんてのが多々あるんですね。
ですから、見つけてくだる方がいて、大変感謝しております。
ところが一方で、やっかいなのが、出版が新聞社なので、新聞用語にのっとった漢字使用の赤チェックが入ること。
以前にも、このブログで書いた送り仮名やルビの規定です。でも、これなどは、僕は“おまかせ”しています。
問題は、表現にかかわる言葉です。
これも以前書きましたが、動植物の表記はすべてカタカナという規定。
新聞は、見やすさが基準ですから、カタカナで良いと思いますが、こちらはエッセイです。やはり、文章の雰囲気や情緒が欲しいところです。
温泉の発見伝説には、頻繁に動物が登場します。この場合、シカやイノシシ、タカでは、どうも重みがありません。やはり「鹿」「猪」「鷹」と書きたいところです。
情緒を伝える表現で、赤チェックをもらった漢字表記が他にもあります。
例えば、「永い間」→「長い間」、人間以外と「出会う」→「出合う」、「充分」→「十分」と訂正されます。
が、どうでしょう?
文章で一番大切なことは、前後の文脈との兼ね合いで言葉を選ぶことです。
守り継ぐ湯は「永い間」が、時間の重みが出ます。また、湯に出合うより「出会う」方が、擬人化されていて、より湯に親しみが感じられます。「十分」は、なんだか時間みたいです。僕は「充分」の方が満ち足りていて好きです。
極めつけは、「灯り」→「明かり」です。
これは、もう譲れません。
温泉街に「灯り」がともるのですよ。「灯り」は、ともし火です。でも「明かり」では、光の明るさになってしまいますもの。
と、言うわけで、適材適所で“言葉のチカラ”を使い分けてあげなくてはなりません。
だから僕は、妥協できるところは素直に赤チェックに従いますが、譲れない言葉は“このままで良し!”と押し返しました。
いずれにしても、もう泣いても笑っても、印刷所の機械は回り出しました。
これからの数週間が、なんとも心もとない日々なのです。
いよいよ、印刷です!
今月末には、色校(印刷所に出向き、刷り出しの色合い具合をチェックします)となり、色調整の後、本刷りとなります。
発行日は17日に設定していますが、出版社および著者の元には、7日前後には本が届くはずです。書店へは、それからの配送となるので、店頭に並ぶのは9月末~10月の頭になると思います。
最終のチェックとは、編集者の校正が入ったゲラ(印刷前のプリント)を著者自らが、それで良いかどうか、判断する作業です。
これが、なかなか厳しいのです。相手は校正のプロ(編集者)ですから、結構、僕の誤字、脱字をビシバシと見つけ出して、赤字を入れてきます。こう見えて(そう見えるって?)、僕はそそっかしいものですから、文字の打ち間違えや、変換ミスなんてのが多々あるんですね。
ですから、見つけてくだる方がいて、大変感謝しております。
ところが一方で、やっかいなのが、出版が新聞社なので、新聞用語にのっとった漢字使用の赤チェックが入ること。
以前にも、このブログで書いた送り仮名やルビの規定です。でも、これなどは、僕は“おまかせ”しています。
問題は、表現にかかわる言葉です。
これも以前書きましたが、動植物の表記はすべてカタカナという規定。
新聞は、見やすさが基準ですから、カタカナで良いと思いますが、こちらはエッセイです。やはり、文章の雰囲気や情緒が欲しいところです。
温泉の発見伝説には、頻繁に動物が登場します。この場合、シカやイノシシ、タカでは、どうも重みがありません。やはり「鹿」「猪」「鷹」と書きたいところです。
情緒を伝える表現で、赤チェックをもらった漢字表記が他にもあります。
例えば、「永い間」→「長い間」、人間以外と「出会う」→「出合う」、「充分」→「十分」と訂正されます。
が、どうでしょう?
文章で一番大切なことは、前後の文脈との兼ね合いで言葉を選ぶことです。
守り継ぐ湯は「永い間」が、時間の重みが出ます。また、湯に出合うより「出会う」方が、擬人化されていて、より湯に親しみが感じられます。「十分」は、なんだか時間みたいです。僕は「充分」の方が満ち足りていて好きです。
極めつけは、「灯り」→「明かり」です。
これは、もう譲れません。
温泉街に「灯り」がともるのですよ。「灯り」は、ともし火です。でも「明かり」では、光の明るさになってしまいますもの。
と、言うわけで、適材適所で“言葉のチカラ”を使い分けてあげなくてはなりません。
だから僕は、妥協できるところは素直に赤チェックに従いますが、譲れない言葉は“このままで良し!”と押し返しました。
いずれにしても、もう泣いても笑っても、印刷所の機械は回り出しました。
これからの数週間が、なんとも心もとない日々なのです。
Posted by 小暮 淳 at 21:27│Comments(0)
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