2012年02月29日
雪の降る日に
体調がすぐれない我が身に、この雪は好都合でした。
予報を知ってから、今日は一切のスケジュールを入れてありません。
今日は朝から、“雪明り読書” の日と、決め込んでいました。
朝食を終えて、仕事部屋へ。
さて、何を読もう?
雪の降る日だもの、雪の文学とシャレてみるのもいい。
久しぶりに 『雪国』 なんてどうだろう。
駒子に会いたいような気もする。
ということで、「書庫」 という名の納戸に入り込んで、 『雪国』 を探しました。
まあ、「書庫」 と呼んでいるのは僕だけで、家族は 「物置」 と言っていますがね。
わずか2畳ほどの小部屋に、本棚が並んでいるだけです。
で、川端康成 『雪国』、川端康成 『雪国』・・・と呪文のように唱えながら探したのですが、なかなか見つかりません。
代わりに僕の目に飛び込んできたのは、3つの “雪” の文字。
『雪のなか』 『雪の朝』 『残りの雪』 です。
これ、すべて立原正秋の作品です。
立原正秋は1966年に 『白い罌粟(けし)』 で直木賞を受賞している小説家です。
なぜか僕は10代の頃に傾倒してしまい、全作品の読破を試みた記憶があります。
今でも 「書庫」 には、30冊以上の文庫本・単行本が所蔵されています。
結局、『雪国』 が見つからず、取り出したのは 『雪のなか』 という短編でした。
20代の前半まで読んでいた記憶がありますが、それでも30年ぶりに紐解く立原文学であります。
懐かしいような、ちょっぴり照れるような不思議な気持ちで、ページをめくりました。
主人公は鎌倉に住む鎌倉彫り師の男。
妻子がいながら、愛人の経営する小料理屋に通っている。
女の故郷、山形の農村に、今でも夜を徹して演じる能があることを知り、2人で出かけることにした。
女の故郷には、「月山の蒼い馬」 の伝説がある。
雪があがった晴れた月夜の日に、月山から蒼い馬がいななきながら空を駆けてくる。
村に下りてくると、死後1年経った人間の魂を背中に乗せ、再び空を駆けて月山へ帰って行くという。
「その蒼い馬が見えるといいね」
「それ、どういうこと?」
「たぶん俺にもその馬は見えないだろう」
「あたし達のことを言っているの?」
「そうだよ」
男は妻子を捨てることも、愛人を捨てることも、できずにいた。
「あなた、馬の蹄(ひづめ)の音がきこえないこと……」
「蒼い馬の蹄の音だな」
「こんな雪の夜に死者の魂を乗せにきたのかしら」
「雪のおかげで馬の姿は見えないが」
「あたし達に用があるのかしら」
「そうかも知れない」
能を見た帰り道、雪の降るなか、現世の無常を感じる男の内面を刻むようにして小説は終わっている。
なんとも意味深く、雪の降る日にふさわしいと思いながら読んだのです。
が、不倫だ、能だ、の世界ですよ。
よくも淳少年は、こんな大人の世界を10代から読んでいたものだと、自分に感心してしまいました。
ませていましたね。
それとも、背伸びして、あこがれていたのでしょうか。
立原文学の舞台は、実際に彼が住んでいた鎌倉が舞台の小説が多いのです。
これで、謎が解けました。
僕が10代の頃から、何度も何度も鎌倉へ出かけて行った理由が。
小説の舞台を探しに行っていたのですね。
そして、鎌倉へ行った数だけ、恋もしていたというわけです。
雪の降る日に、若き日の自分に会ってきました。
Posted by 小暮 淳 at 19:47│Comments(2)
│つれづれ
この記事へのコメント
雪国…湯沢の高半を連想します
大雪の露天風呂は 良かったです…
開発前の水上を 感じ取れた気がします
(「・・) 体調は如何で
更に 体調を悪化させるような 情報をメールを 送ろかと 思ったのですが
アド知らないのでした
大雪の露天風呂は 良かったです…
開発前の水上を 感じ取れた気がします
(「・・) 体調は如何で
更に 体調を悪化させるような 情報をメールを 送ろかと 思ったのですが
アド知らないのでした
Posted by momotaka at 2012年03月01日 16:50
momotakaさんへ
ありがとうございます。
おかげさまで、腰の痛みもほとんど治まり、通常の生活をしております。
来週からまた取材旅行に出かけるので、体調を整えています。
ありがとうございます。
おかげさまで、腰の痛みもほとんど治まり、通常の生活をしております。
来週からまた取材旅行に出かけるので、体調を整えています。
Posted by 小暮 at 2012年03月01日 18:31