2016年03月07日
オヤジ史④ 「未完の書」
“人生は自己表現の場だ”
“人生は保障が大きいほど中身が小さくなる”
これがオヤジの口ぐせでした。
いえね、まだ生きてますよ。
でも 「でした」 と過去形なのは、もう、そんなことは言わなくなってしまったからです。
オヤジの認知症は、日を追うごとに進んでいます。
大正13年(1924) 生まれ。
オヤジは今年、92歳になります。
昔から破天荒で、他人と同じ事、生き方をするのが苦手な人でした。
組織や大勢を嫌い、いつも一匹狼で、独創的な人生を歩んで来た人であります。
そんなオヤジは晩年、自叙伝を書こうとしていました。
現役を退いた後は、過去の資料を集め、着々と執筆活動の準備を始めていました。
が、その矢先、認知症が始まってしまったのです。
2年半前の夏、僕は記憶を失いつつある親父に代わって、ゴーストライターを買って出ることにしました。
定期的にオヤジをテーブルの前に座らせ、録音機をセットして、出生から生い立ち、少年時代、戦時中の話を聞き出しました。
※(当ブログの2013年8月15日 「オヤジ史① 終戦記念日」 参照)
その間にも認知症は進行していましたが、今日のことは覚えていなくても、古いことは鮮明に思い出せるのでした。
終戦後は進駐軍で通訳をしていたこと、その後は英語力を生かして塾を開業したこと、そしてそして、オフクロとのラブロマンスも、息子として初めて知ることができました。
ところが、そこから先の聞き取りが、遅々として進みません。
認知症が進むにつれて、近年の記憶が、どんどん加速を増して消えていくのであります。
昭和も後期になると 「どうだったかなぁ~」 「忘れたなぁ~」 という発言が多くなり、平成のこととなると、ほとんど記憶がありません。
死んだ自分の兄弟の名前はスラスラと出てくるのに、子の嫁や孫の名前は、なかなか出てきません。
ともすれば、僕やアニキにさえも 「お前は誰だ?」 と言う始末です。
そんなわけで、オヤジの自叙伝の制作は現在、頓挫しています。
彼が人生で一番輝いたのは、晩年でした。
国を相手に闘った自然保護活動の詳細が聞けないのは、今となっては残念ですが、資料なら残っています。
わずかでもオヤジの記憶が残っているうちに、少しでも多くの足跡をたどりたいと思っています。
Posted by 小暮 淳 at 12:04│Comments(0)
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