2020年02月15日
人の中の仙人
「小暮さんは、人たらしだからな」
唐突に、そう言われて、ドキリとしました。
先日の新年会でのことです。
確か、以前にも誰かに同じことを言われたことがあるな……
何十年も前のことだ。
それも2回。
「ジュンは、人たらしだからさ」
まだ20代の頃、音楽仲間との雑談で言われた。
「編集長は、人たらしですから」
40代の頃だ。
雑誌の編集をしていたスタッフに言われた。
“人たらし”
広辞苑によれば、<人をだますこと。また、その人。> とあります。
「男たらし」 「女たらし」 など、“たらし” にはネガティブでマイナスのイメージを持っていた僕は、過去の2回とも不快感を抱いたことを覚えています。
ところが今回、会話の流れから察するに、決して、さげすんだ言い方ではありませんでした。
「小暮さんのまわりには人が集まってくるよね」 「人徳だよね」 というニュアンスに聞こえたのです。
もしかしたら、これって、ほめ言葉なのかしらん?
歴史をなぞれば、かの豊臣秀吉は 「稀代の人たらし」 「人たらしの天才」 と呼ばれていたそうです。
このことからも分かるように、必ずしも、さげすんだ言葉ではないようです。
かれこれ30年ほど前のことです。
雑誌のインタビューで、さる彫刻家を取材したときのことでした。
その作家は、こんな謎めいたことを言いました。
「僕は “人の中の仙人” になろうと思うんだ」
“仙人” といえば、人里離れた山奥に住み、悟りを開いて質素に暮らしているイメージです。
なのに、その人は、人の中で仙人になるといいます。
実際、アトリエは街の中にあります。
家族やたくさんの友人、知人に囲まれて暮らしています。
ともすれば、一般の社会人よりも、にぎやかで華やかな日常を送っているようにも見えました。
どこが、仙人なのだろうか?
30年経って、おぼろげながら、その答えが見えてきました。
今になって思えば、その人は、,根っからの “人たらし” だったんですね。
人が好きだから、人の中に身を置くけれど、心はいつも仙人のように達観した世界を求めているということなのではないでしょうか。
遅ればせながら、僕も今、そんな心境です。
人たらしと言われれば、言われるほど、思いはつのります。
“人の中の仙人” になりたいと……
Posted by 小暮 淳 at 11:54│Comments(0)
│つれづれ