2010年08月21日
怪力男の子孫
身の丈、約2メートル。
16才のときに榛名神社参拝の帰り道で、襲ってきたクマを捕まえて、その手をねじ切って持ち帰った。
夜の雉ケ尾(きじご)峠で、オオカミに襲われた婦人を救い、オオカミの口の中に手を入れて、上アゴから頭をちぎって持ち帰った。
数々の怪力話が残る男の名は、柄沢利兵衛。
元文2年(1737)~文化7年(1810)に実在した人物です。
利兵衛が持ち帰ったという、オオカミの上アゴが今でも大切に保存されているというので、高崎市上里見町(旧榛名町)の子孫を訪ねて来ました。
まず僕を出迎えてくれたのは、主人ではなく、門前に置かれた2つの大きな「なんご石」。“なんご”とは、このあたりの方言で、お手玉のことだといいます。
利兵衛が、烏川原から軽々とお手玉のようにして持って帰ったといわれている大石です。
「おお、これだ! 伝説の石は……」
と、カメラマン氏と、いきなりはしゃいでしまいました。
高さ60センチ、幅45センチ、厚さ25センチ、重さ150キロの大石ですよ。これ1つだって持ち上がらないのに、2つをお手玉にしたなんて、信じられませーん!? (ここが民話や伝説の面白いところです)
これからお会いするのは、“鬼利兵衛”と呼ばれた怪力男の子孫ですよ。
自ずと、緊張が走ります。
やたらな事を聞いたら、「えぃっ!」と腕をねじ取られ、「それっー!」と首をねじ切られてしまうかもしれないのですから……。
まず、子孫の母がお出迎え。
母には利兵衛のDNAは入っていませんから、小柄できゃしゃな、やさしい感じの老婦人でした。
和室に通され、いよいよ、息子さんで現主人が登場です。
「お・ま・た・せ・し・ま・し・た」
うっわわわわわわわわわーーーーーー!
このあと、僕とカメラマン氏は、世にも不思議なモノをいくつも目にすることになります。
つづきは、9月3日発行の「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄)に掲載される 『民話と伝説の舞台』 にて、顛末をお読みください。
“事実は伝説より奇なり” ですぞ。
16才のときに榛名神社参拝の帰り道で、襲ってきたクマを捕まえて、その手をねじ切って持ち帰った。
夜の雉ケ尾(きじご)峠で、オオカミに襲われた婦人を救い、オオカミの口の中に手を入れて、上アゴから頭をちぎって持ち帰った。
数々の怪力話が残る男の名は、柄沢利兵衛。
元文2年(1737)~文化7年(1810)に実在した人物です。
利兵衛が持ち帰ったという、オオカミの上アゴが今でも大切に保存されているというので、高崎市上里見町(旧榛名町)の子孫を訪ねて来ました。
まず僕を出迎えてくれたのは、主人ではなく、門前に置かれた2つの大きな「なんご石」。“なんご”とは、このあたりの方言で、お手玉のことだといいます。
利兵衛が、烏川原から軽々とお手玉のようにして持って帰ったといわれている大石です。
「おお、これだ! 伝説の石は……」
と、カメラマン氏と、いきなりはしゃいでしまいました。
高さ60センチ、幅45センチ、厚さ25センチ、重さ150キロの大石ですよ。これ1つだって持ち上がらないのに、2つをお手玉にしたなんて、信じられませーん!? (ここが民話や伝説の面白いところです)
これからお会いするのは、“鬼利兵衛”と呼ばれた怪力男の子孫ですよ。
自ずと、緊張が走ります。
やたらな事を聞いたら、「えぃっ!」と腕をねじ取られ、「それっー!」と首をねじ切られてしまうかもしれないのですから……。
まず、子孫の母がお出迎え。
母には利兵衛のDNAは入っていませんから、小柄できゃしゃな、やさしい感じの老婦人でした。
和室に通され、いよいよ、息子さんで現主人が登場です。
「お・ま・た・せ・し・ま・し・た」
うっわわわわわわわわわーーーーーー!
このあと、僕とカメラマン氏は、世にも不思議なモノをいくつも目にすることになります。
つづきは、9月3日発行の「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄)に掲載される 『民話と伝説の舞台』 にて、顛末をお読みください。
“事実は伝説より奇なり” ですぞ。
Posted by 小暮 淳 at 18:59│Comments(0)
│執筆余談