2018年07月01日
コオ先生が教えてくれたこと
30年も前のことです。
僕は、駆け出しのタウン誌記者をしていました。
巻頭のインタビュー記事の取材で、切り絵作家の関口コオ先生のアトリエを訪ねたことがありました。
すでに先生は、切り絵の第一人者であり、個人美術館が建つほどの人気作家でした。
駆け出しの僕は、大変緊張していたのだと思います。
そこで、我がライター人生最大の失態を演じてしまいました。
それは……
今思い出しても、おぞましい出来事です。
なななんと! 2時間のインタビューが、まったく録れていなかったのです。
編集室にもどり、カセットテープを再生しても、何も録音されていませんでした。
まさに、青天の霹靂!
頭の中が、真っ白になってしまいました。
怖くて、怖くて、編集長にも事実を伝えられないまま、一日、また一日と原稿の締切日だけが近づいてきます。
どうしたらいい?
先生に土下座して、もう一度、話してもらおうか?
いえいえ、そんなことはできません。
大先生に対して、あまりにも失礼です。
えーい! こうなったら矢でも鉄砲でも持って来い!
清水の舞台から思いっきりダイビングしてやる!
腹をくくった僕は、わずかなメモと記憶だけを頼りに、巻頭4ページの特集記事を書き上げました。
後は野となれ山となれであります。
そして1ヶ月後、雑誌は書店に並びました。
当然、先生にも見本誌が郵送されているはずです。
毎日、編集室の電話が鳴るたびにおびえていましたが、先生からのクレーム電話はありませんでした。
それから数ヵ月後のこと。
コオ先生の個展が開催されました。
腹をくくり、針のムシロの上に座るつもりで、ご挨拶に行きました。
受付で記帳を済ませて、会場を見渡しましたが、先生の姿は見えません。
「今だ、チャンス!」
とばかりに、会場内を一周して、早々に退場しようと思った、その時です。
壁に貼られた、4枚の紙が目に留まりました。
見覚えのある記事です。
そうです、僕が書いたインタビュー記事でした。
そして、記事に近づいた時でした。
「小暮さん、この度は、ありがとうございました」
振り返ると、コオ先生が立っていました。
「とっても素敵な記事です。私の言いたいことが全部、書かれています。嬉しかったので、貼ってしまいました」
実は、それから後のことは、ほとんど覚えていません。
たぶん、僕は舞い上がり、高揚していたのかもしれません。
もしかしたら想像もしなかった展開に、驚き、涙していたのかもしれません。
でも今思えば、あの出来事がなかったら、僕は、その後、ライターになっていなかったかもしれないということです。
“記録よりも記憶”
“頭で書くな、心で書け”
そう、コオ先生が教えてくださいました。
享年81歳。
昨日、先生の訃報を告げる新聞記事を読みました。
ご冥福をお祈りいたします。
先生、ありがとうございました。
Posted by 小暮 淳 at 17:32│Comments(0)
│取材百景