2020年08月31日
川原湯温泉 「やまきぼし」
<5年後には “旧七軒” と呼ばれていた旅館が、すべて揃います。そうすれば、もう少し温泉街らしくなると思います。>
(当ブログの2017年11月24日 「川原湯温泉のゆくえ④」 より)
うれしい知らせが届きました。
川原湯温泉(長野原町) の “旧七軒” の一つ、「やまきぼし」 が、代替地に移り、宿泊業を5年ぶりに再開しました。
冒頭のセリフは、3年前に雑誌の取材で川原湯温泉を訪ねた時に、川原湯温泉協会長であり、「やまきぼし」 社長の樋田省三さんから聞いた言葉です。
周知のとおり、旧川原湯温泉はダム建設計画から60余年後の今年、長い長い闘争と翻弄の日々を終え、湖底に沈みました。
かつては約20軒あった宿泊施設も、移転前には10数軒となり、現在、代替地で再開した宿は、「やまきぼし」 で6軒目となります。
僕が最初に旧川原湯温泉の 「やまきぼし旅館」 を訪ねたのは、30年ほど前のこと。
当時、勤めていた雑誌社の記者として、極寒の真冬に奇祭 「湯かけ祭り」 を取材しました。
その時、お世話になった宿が 「やまきぼし旅館」 でした。
でも、まだ駆け出しだったため、取材に夢中で、温泉と旅館の記憶は、ほとんどありません。
それから10年ほどして、もう一度、訪ねています。
この時はプライベートで、目的は “温泉王” といわれる作家の嵐山光三郎氏が命名した露天風呂の 「崖湯」 に入りに行きました。
当時、嵐山氏は頻繁に川原湯温泉を訪れ、老舗旅館の “旧七軒” のご主人たちと、「夜話会」 なる呑み会を開いていました。
たぶん僕は、作家として、そして温泉ライターの大先輩として、嵐山氏にあこがれていたのだと思います。
※川原湯温泉での 「夜話会」 については、嵐山光三郎著 『温泉旅行記』(ちくま文庫) に詳しく書かれています。
営業再開に際しては、樋田さんの長男、恒祐さんが後継ぎとして入り、素泊まりなどの需要に対応する新しいスタイルの湯宿 「やまきぼし」 として、再スタートするとのことです。
少しずつ、少しずつですが、新生・川原湯温泉に、にぎわいが戻りつつあります。
3年前の取材で、樋田さんは、これからの川原湯温泉について、こんなふうに話していました。
<次世代を担う若い後継者が、帰って来ています。私たちは過去を引きずっていますが、彼らには未来しかない。新しい川原湯温泉に期待しています。>
(「グラフぐんま」 2018年1月号、温泉ライター小暮淳の 『ぐんま湯けむり浪漫』 より)
僕も、大いに期待しています。
Posted by 小暮 淳 at 13:55│Comments(0)
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