2022年04月28日
ハッスル餃子とロゼのワイン
ある時は、タオル片手に湯処をめぐる 「温泉ライター」。
また、ある時は、民話や伝説の謎を追う 「謎学ライター」。
しかし、その正体は?
ジャーン!
そうです、夜な夜な呑み屋に現れる神出鬼没の 「酔っぱライター」 であります!
ということで、行って参りました。
今春、リニューアルオープンした前橋市街地の “昭和レトロの聖地”、「呑竜(どんりゅう)横丁」。
呑竜横丁とは?
昭和22(1947)、戦後間もなくのこと。
復興計画に基づき、大蓮寺の墓地跡地に復員兵の生計を立てることを目的とした 「呑龍仲店」 が誕生しました。
飲食を中心に、雑貨や総菜、青果の店が雑多に軒を連ねていたため、地元では通称 「呑龍マーケット」 と呼ばれていました。
僕の子どもの頃は、あの一画は “大人の世界” で、暗黙の “立ち入り禁止エリア” でした。
確か、大人たちは 「小便横丁」 なんて言っていた記憶があります。
まあ、言うならば、前橋のゴールデン街だったのです。
昭和57(1982)年1月。
そんな “大人の聖地” を、存続の危機が襲いました。
仕込み時間の夕刻、一軒の飲食店から出火。
またたく間に火の手は広がり、マーケットは全焼してしまい、25店舗が焼き出されました。
ところが、各店主たちの努力もあり、たった1年半で再建。
名称も 「呑龍」 から 「呑竜」 へと改名。
新たな “のんべえ横丁” がスタートしました。
時代は昭和から平成へ。
バブル経済がはじけ、出店者の撤退、空き店舗の増加、建物の老朽化……
いつしか横丁は、昔のような華やかさを失っていました。
そこで一念発起、有志たちによるプロジェクトが結成され、このたび 「呑竜横丁」 が華々しくリニューアルオープンしました。
となれば、当然、「酔っぱライター」 の出動です!
僕は現在、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 のスーパーバイザー (監修人) をしています。
と同時に、リポーターとしても時々出演しています。
「小暮さんにピッタリの企画なんですけど、出演していただけますか?」
とディレクターからの誘いに、
「酒、呑めるの?」
「ええ、横丁を端からハシゴしていただきます」
と言われてしまえば、断わる理由はありません。
2つ返事+ 「ギャラは要りません」 の言葉を添えて、引き受けました(ウソ)。
時々刻々と夕闇が迫るアーケード横丁。
通りの提灯が一斉に灯りました。
「はい、スタート!」
ディレクターの声に背中を押され、のれんをくぐります。
1軒目は、オリジナル 「呑龍ビール」 の小瓶を片手に、焼き鳥を頬張るシーン。
2軒目は、カウンター席で常連客にまざって、日本酒を酌み交わします。
ママ手作りのフキの煮物とポテトサラダに、撮影を忘れて箸が進みました。
「次は、ここでギョーザを食べていただきます」
とディレクターが指さした店の看板に目をやると、懐かしい文字が!
『ハッスル餃子』
いゃ~、懐かしいなんてもんじゃありませんよ。
昭和の前橋っ子にとっては、憧れのギョーザです。
ハッスル餃子とは?
昭和43(1968)年創業のメイド・イン・群馬の “ご当地餃子” であります。
僕の子どの頃は、前三百貨店の地下・食料品売り場でのみ販売されていました。
今でいう実演販売で、目の前で焼いた熱々のギョーザを持ち帰り、夕飯のおかずにするのが最高の贅沢でした。
「前三のハッスル餃子を、ご存じなんですか?」
ギョーザを焼く若い店主に訊かれました。
「このポスターだって知ってるよ!」
壁に貼られたレトロなポスターは、当時、前三百貨店の地下売り場の店頭に貼られていたポスターと同じです。
その前三百貨店が閉店したのが、37年も前のこと。
店主が知らなくても無理はありません。
「はい、ギョーザにはワインが合うんですよ。それもロゼ」
へへへ~、ギョーザにワインなんて初めてです。
が、これが意外とマッチ!
聞けば、具の割合は野菜が9割。
軽くてヘルシーな味わいで、パリッ、モチモチの皮とのバランスも絶妙です。
さらに数軒、横丁をさまよいながら千鳥足で歩く僕を、カメラは追いかけ続けます。
最後は、締めのラーメン店へ。
食レポも1テイク (一発撮り) でOK!
「小暮さんは素面(しらふ)よりアルコールが入っていたほうが、雰囲気があっていいですね」
とディレクターに言われ、
「だったら、これ、シリーズにしません?」
この問いに何て答えたのかは、酔っていて覚えていませんが、視聴者の評判によっては、アリかもしせませんよ。
※『ぐんま!トリビア図鑑』、「楽しい横丁・吞竜仲店 (仮)」 は、5月24日(火) 21時~の放送です。
Posted by 小暮 淳 at 12:01│Comments(0)
│酔眼日記