温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2013年01月08日

ああ、愛しのリンダ様


 こいつぁ~春から、縁起がいいわいの~♪

 というのも、今年は正月の3日に、うれしい知らせがあったのであります。
 それは、エフエム群馬のプロデューサーより出演依頼の電話です。

 「で、今回は、何の番組ですか?」
 と訊けば、
 「番組名は変わったのですが、今回も櫻井三千代さんの番組で・・・」

 えっ、ええええええーーーーっ!
 リ、リ、リ、リンダさまーーー!

 ああ、そのお名前を聞いただけで、中年から初老の階段を昇り始めている僕のハートは、キュンキュンと鳴り出してしまうのです。


 そう、僕がリンダ様こと、櫻井三千代さんに初めてお会いしたのは、4年前であります。
 温泉シリーズ第1作目 『ぐんまの源泉一軒宿』 の出版を記念して、スタジオに呼んでいただきました。

 2作目の 『群馬の小さな温泉』 の時は特番で、よしもとの芸人さんとからんだため、リンダ様にはお会いしていません。
 しかし、一昨年のシリーズ第3弾 『あなたにも教えたい 四万温泉』 では、またリンダ様の 「SPANGLE」 という番組に呼んでいただき、たっぷり30分間のトークを楽しんで参りました。

 で、今日。
 1年3ヶ月ぶりに愛しのリンダ様に会い、新番組 「G☆FORCE」 の収録を行ってきました。


 「小暮さ~ん、お久しぶりでーす!」
 スタジオに入るなり、まぶしいくらいにキラキラと光り輝いたリンダ様、いや三千代さんのスマイルが出迎えてくれました。
 もう、それだけで、僕なんか、デレデレのデレ~~と、溶け出してしまいそうでしたよ。

 ん? なんだ? 隣にいるむさくるしい男は?
 と、僕がいぶかっていると、
 「初めてでしたよね。パーソナリティの竹村淳矢さんです」

 うぉぉぉ~、知ってる知っている。
 お笑いタレントの淳矢さんだー!
 いつもラジオを聴いていますよ。
 (この野郎か、毎週毎週、愛しのリンダ様をひとり占めしている、うらやましい野郎は・・・)

 「よろしくお願いします。お互い同じ “淳” ですね。この字の人は賢い人が多いんですよ」
 なーんて、おべっかなんかを言っちゃったりして。
 (でも、お前なんかに、リンダ様は渡さないぞ!)


 番組名は変わったけれど、今回も僕がゲストとして出演したコーナーは、ご存知!「人間力向上委員会」であります。
 話のテーマは、昨年9月に出版したシリーズ第4弾 『みなかみ18湯〔上〕』 の取材秘話からはじまり、セミナーや温泉講座、群馬のPRソングになった歌のこと、そして今年の4月に発売予定の次回作についてなど、盛りだくさんの内容となりました。
 混浴話では、3人で大爆笑するシーンもありましたよ。

 櫻井さん、竹村さん、楽しいひとときをありがとうございました。
 また、新刊が出版されたら呼んでくださいね。

 オンエアは、今週1月11日(金) です。
 みなさん、ぜひ聴いてくださいね!



 ●放送局   FMぐんま 86.3MHz
 ●番組名   「G☆FORCE」
          パーソナリティ : 櫻井三千代
                     竹村淳矢
 ●放送日   1月11日(金) 13:00~17:55
 ●出演時間  「人間力向上委員会」のコーナー
          15:05~15:30
 ●ゲ ス ト   小暮 淳 (フリーライター)
   


Posted by 小暮 淳 at 22:25Comments(11)温泉雑話

2013年01月07日

好久不見了!


 1987年、5月4日。
 中国、杭州。

 28歳の僕は、駅の窓口に並んで、2日後の北京までの切符を予約しようとしていた。
 中国語は、しゃべれない。
 英語は、通じない。
 残された手段は、筆談のみ。
 同じ漢字の国だもの。なんとかなると思っていた。

 “5月6日 ○時○分 至北京 一枚”

 でも、駅員には一向に通じない。
 あわや、断念するしかないのか・・・
 と、その時。

 「僕も同じ日に北京まで帰ります。一緒に買ってあげましょうか?」
 と、後ろに並んでいた男性が声をかけてきた。
 まだ若い。学生のようだ。しかも日本人である。

 これが僕とK君との出会いだった。


 2日後、僕は北京行きの列者の中で、K君と再会する。
 彼は北京にある大学の語学留学生だった。

 「小暮さんは、北京の宿は、もうお決まりですか?」
 まさか、こっちは、行き当たりバッタリのバックパッカーだ。
 いつも、その町に着いてから宿を探すのが常である。

 「だったら僕の大学へ来ませんか? 学生寮に部屋が空いてますから、管理人に頼んであげますよ」
 とは、思わぬ展開に喜ぶ僕。
 毎回毎回、安宿探しには苦労していたのだから。
 渡りに船とは、このことだ。
 これだから、旅は面白い!

 と、僕はその後数日、北京市内にある彼の通う大学の寮に転がり込んでいたのである。


 あれから26年・・・。



 2013年、元旦。
 今年も、K君からの年賀状が届きました。
 あの年以来、毎年、年賀状だけのやり取りが続いています。

 中国から帰国したこと。
 会社に勤めたこと。
 仙台、青森、秋田に転勤になったこと。
 結婚をしたこと。
 東京本社に勤務になったこと。
 千葉にマイホームを持ったこと。
 北海道へ単身赴任になったこと。

 26年間、1度も会ってはいないけれど、彼の人生の軌跡は、必ず年に1回は報告されていました。


 そして、今年の年賀状には・・・

 <ブログ読んでます>
 の文字。

 それだけでも驚いたのに、
 <いよいよ高崎にやって参りました。ぜひ、お会いしたいと思います。宜しければ連絡ください。>
 と、携帯電話の番号まで記されているではありませんか!

 迷うことなどありません。
 その手で、すぐに番号を押しました。

 「はい、Kです」
 「小暮です」
 「えっ、小暮さ~~ん!」

 26年ぶりの声の再会です。

 今は、実家のある岐阜で正月を過ごしているとのこと。
 でも仕事はじめが4日からなので、勤務先の高崎へは3日の夜までには戻ること。
 そして、

 「小暮さん、すぐに会えますか?」
 の声。
 社交辞令なんかではない、本当に 「会いたい」 という気持ちが互いにありました。
 会って、26年前に中国の杭州で助けてもらったお礼を言いたい。
 そして、その後の人生を報告し合いたい。

 「もちろん、すぐ、会おう!」

 僕はもう、初恋の相手を待つような気持ちで、昨日という日を指折り数えていたのです。



 JR両毛線、前橋駅。
 僕は改札口で、人の流れを目で追っていました。

 カバンの中には、26年前に北京で撮った若き日の2人の写真があります。
 あと、数分で、あの日と今日が1本の線でつながります。

 きっと、分かる。
 すぐに、分かる。
 互いに歳をとって、老けていようが、絶対に分かる。

 思い出とは、そういうものだ。



 「小暮さーん!」
 改札口の向こうから手を振る中年男性がいます。

 「K君!」
 と叫んで、僕も駆け寄りました。

 固い固い握手・・・


 「好久不見了!(久しぶり)」


 そして、僕らは酒を酌み交わしながら、26年間の空白を埋めるように、長い長い夜を過ごしました。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:55Comments(2)つれづれ

2013年01月05日

気絶しそうな人形


 今日が、今年の仕事始めとなりました。
 いや、書き仕事は2日からしていましたから、正確には初取材へ行ってきたということです。

 でも、温泉ではありません。
 某誌からの依頼による “達人” へのインタビューです。
 今年最初の取材は、新春にふさわしく江戸末期から伝わる桐生からくり人形芝居の保存会の人たちを訪ねてきました。


 桐生といえば、「西の西陣、東の桐生」 といわれるほどの織物の町。
 上毛かるたにも 『桐生は日本の機(はた)どころ』 と詠まれています。
 今でも、機械の音が乱反射して和らぐように屋根をギザギザにした 「のこぎり屋根」 の織物工場が残されている街として有名です。

 僕は群馬県のタウン誌の編集をしていたので、桐生へはたびたび取材を訪れています。
 また、何年か前まではJRの旅冊子の編集にもたずさわっていたので、のこぎり屋根工場や土蔵が多く残る街並み、名物のうどん屋などを取材しています。

 もちろん、「桐生からくり人形芝居館」 のある有鄰館(ゆうりんかん) へは、桐生取材のたびに寄っています。
 有鄰館とは、街の中心にある蔵群です。
 塩蔵、酒蔵、醤油蔵、味噌蔵など9つの土蔵や煉瓦蔵からなり、現在はギャラリーや多目的イベントスペースして開放されている桐生の情報発信基地。

 この蔵群の一番奥、ビール蔵にあるのが、からくり人形の芝居館です。
 もちろん、ここも過去に見学をしたことがありました。

 でも、見ると聞くとは大違い!(ふつうは「聞くと見るとは大違い」と言いますがね)

 そう、見ているだけでは知りえなかった、復元・復活までの並々ならぬ努力と苦労話を保存会の人たちから、たっぷりと聞いてきたわけであります。


 桐生からくり人形芝居のはじまりは嘉永5年(1852)、桐生天満宮御開帳で 「飾り物」 として行われました。
 以後、9回の興行が行われましたが、昭和36年を最後に途絶えてしまいました。
 時は流れ平成9年、桐生市内の蔵から江戸情緒を留めるからくり人形が発見されたのを機に、市内の有志が集まり前身となる研究会を発足。人形の復元を始めます。
 平成11年に、レプリカ人形による「曽我兄弟夜討」の上演で、復活をとげました。

 現在、保存会の会員は25人。
 人形の頭以外は、舞台も衣装もすべて会員による素人の手作りだといいます。
 その完成度の高さには定評があり、NHKテレビにも取り上げられ、多勢の参観者が訪れています。

 研究会発足当初、日本人形学界の有識者が視察に訪れ、「気絶しそうな貴重な文化財」 と絶賛したといいます。


 ご興味のある方は、毎月第1土曜日に 「桐生からくり人形芝居館」(有鄰館内) にて無料で上演されていますので、お出かけください。
    


Posted by 小暮 淳 at 21:02Comments(0)取材百景

2013年01月04日

不思議な王様ジャンケン


 昨日の続きです。

 僕が子どもの頃に、チスカ(ジャンケン) を使った面白い遊びがありました。
 その名は、『王様ジャンケン』。

 この遊びは、4~5人以上で行います(多いほうが面白い)。
 まず、チスカで王様を決めます。
 残りの人も順位を決めて、王様の横にズラリと並びます。
 この人たちは、家来です。

 一番負けた人は村人となり、一番下級の家来に戦いを挑みます。
 いわゆる、下克上ゲームなのであります。
 勝てば、次の家来へと進みますが、負けたら、その家来と入れ替わり、今度はその家来が下克上に挑みます。

 ただし、王様とするときには、必ず “おじぎ” をしなくてはなりません。
 ところが、勝ち進んでゲームに夢中になっていると、ついつい、おじぎを忘れてしまうんですね。
 そんなときは、王様が 「おじぎ下がれ!」 とひと言。
 すると、その人は、せっかく、ここまで昇りつめてきたのに、村人へと転落して、最初の家来から挑戦しなくてはなりません。

 これが、遊びのルールです。
 で、問題は、そのときチスカを使って行う 「王様ジャンケン」 なのです。

 まずチスカで勝ち負けを決めます。
 勝った方が先攻となるのですが、ここで勝ち手によって、発する言葉が異なります。

 グーならば、「クロ」。
 チョキならば、「ニキ」。
 パーならば、「ベテ」。

 そして、「クロ、クーロ」「クロ、ニッキ」「クロ、べッテ」 とかけ声をかけて、手の形を変えます。
 ※(2回目に発音する時は、クロは「クーロ」、ニキは「ニッキ」、ベテは「ベッテ」と変化します)

 先攻の声に合わせて、相手は手の形を変えます。
 勝った方が次に先攻となり、これを繰り返します。

 「クロ、クーロ」「ベテ、ニッキ」「クロ、ベッテ」「ニキ、ニッキ」・・・・
 と続きます。

 勝敗は、“あいこ” になった時です。
 いわゆる後攻が、先攻の言葉につられて同じ手を出してしまったら負け。

 慣れてくると、男の子たちは、これを超高速で早口言葉のように繰り返します。

 今思い出しても、楽しい遊びなのですが、大人になってやろうと思っても知っている人がまわりにいないのです。
 説明しても、「なんだ、そのベテって?」「なんでグーがクロなの?」 と疑問のほうが先立ってしまって、なかなかゲームに至りません。

 でも、確かに言われてみれば不思議な言葉です。
 なんでグーが 「クロ」 で、チョキが 「ニキ」 で、パーが 「ベテ」 なんでしょう?
 そして、いったい誰が考えた遊びなんでしょうか?


 調べてみると、遊び自体は戦前からあったようです。
 大正生まれの父は、ルールを知っていましたからね。
 ただし、『王様ジャンケン』 とは言わなかったようです。
 そして、言葉そのものが違っていました。

 グーは、「軍艦」。
 チョキは、「朝鮮」。
 パーは、「ハワイ」。

 「軍艦、軍艦、朝鮮」「朝鮮、朝鮮、ハワイ」 「ハワイ、ハワイ、軍艦」 と声をかけながら遊んだと言います。

 昭和初期の軍事国家でのこと。
 こっちのほうが、子どもの遊びとしては分かりやすいですね。

 では、クロ・ニキ・ベテは、どこからやって来た言葉なんでしょうか?
 不思議でなりません。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:36Comments(4)昭和レトロ

2013年01月03日

チスカの謎


 <今年はセンズリ元年です>

 これは今年、僕がある人へ出した年賀状に書いた文言です。

 新年から、なんてオゲレツな!と、眉をひそめないでください。
 その後に、ちゃんと言葉を添えてありますから。

 <書いて、書いて、書きまくります!>


 ある人とは、前橋市在住の絵本作家、野村たかあきさんであります。
 25年前に知り合ってから毎年、僕は年賀状に 「○○元年」 と記して、その年の抱負を伝えているのです。


 「いゃ~、今年はたまげたよ。新年早々、いきなり “センズリ” だもんなぁ~。でも、そのココロがいいね。書いて書いて書きまくる。我々の仕事は、描いて(書いて)ナンボの職人だからね。描けない理由、描かない理由はいらない。駄作でも駄文でも生み出さなくっちゃいけない。作品の良し悪しなんて、読者やまわりの人に決めてもらえばいいのよ。ジュンちゃん、今年も期待しているよ」
 新年のあいさつに伺うと、そう言ってお年賀のお返しに、僕の孫へと1冊の絵本をくれました。

 『あいこでしょ』(鈴木出版)
 こどものくに たんぽぽ版 1月号 定価360円

 昨年の1月に出版された、野村さんの作・絵による新作絵本です。


 女の子が 「鬼ごっこしましょ」 と馬に声をかけ、ジャンケンをします。
 女の子はパー、馬はグー。
 鬼をやるのがイヤな馬は、豚を呼んできます。
 馬はグー、豚はチョキ。
 豚はニワトリ、ニワトリは犬と、自分の勝てる相手を連れてきます。

 次に犬が連れてきた相手は、猫。
 でも、グーとグーですから、勝負が着きません。

 あいこでしょ、あいこでしょ、あいこでしょ・・・

 見ていたみんなが、一緒にジャンケンに加わりますが、いつまでたっても鬼が決まりません。
 そして最後は・・・、
 野村さんならではのユニークな結末が待っています。



 実は、僕は大人になるまで、ジャンケンのことを 「ジャンケン」 と呼んだことがありませんでした。
 では、なんと呼んでいたのかというと、「チスカ」 です。

 あ、そうそう、私もそうでした!
 と、うなづいた人は群馬県民だね。
 それも前橋市を中心とした、県中央に生まれ育った群馬県民だ~!

 もちろん、チスカのことを一般にはジャンケンということは知っていましたが、「ジャンケン、ポン」 なんて言っていた子は、1人もいませんでした。
 では、なんと言っていたのか?

 はい、「チスカッ、キュ」 です。

 そして、あいこは、「アッカッ、キュ」 であります。


 当時は何の疑問も抱かずに誰もが使っていましたが、いま思うと、ヘンな言葉ですよね。
 これって、日本語なんでしょうか?

 実は、「チスカ」 は短縮形なんですよ。
 正式には、もっと長いかけ声があります。

 “チーヤラメスカッキュ”

 これが正しい、チスカの呼び方です。
 ますます、日本語とは思えませんね。

 そう思って、大人になってから調べたことがありました。
 今の子(自分の子どもたち) に聞くと、「ジャンケン、ポン」 でした。
 ところが、僕の両親に聞いてみたところ、母(旧前橋市出身) は 「チッカッセ」、そして父(旧勢多郡大胡町出身) は 「チッカッポ」 だったんです。

 「チッカッセ」 も 「チッカッポ」 も、なんとなく 「チスカ」 に似ています。
 だから、たぶん、その原型となったとのは、“チーヤラメスカッキュ” だと思うんです。


 みなさんの子どもの頃は、ジャンケンのことを何と言いましたか?
 また、“チーヤラメスカッキュ” の語源を知っている人がいたら教えてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:27Comments(4)つれづれ

2013年01月02日

正月は子孫繁栄の図


 呑兵衛にとって正月は、免罪符、治外法権、無礼講・・・なのであります。
 朝から酒を浴びても、誰も文句を言いませんからね。


 元旦、午前9時。
 夜型の僕にとっては、いつもより早い起床であります。
 前夜の酒が抜け切れぬまま、階下へ。
 大学生の長男しかいません。

 「かーさんは?」
 と問えば、
 「買い物」
 とのこと。
 福袋目当ての初売りに、出かけたと言います。

 「お前、早いな?」
 と訊けば、
 「ああ、初日の出見に行ってきた」
 とは、さすが若者です。

 そういえば、オレだって20歳の頃は、一晩中車をすっ飛ばして、友だちと太平洋の初日の出を見に行ったけ・・・うんぬんと、独りごちながら、雑煮をほお張りつつ、年賀状に目を通しました。

 年々、増える年賀状。
 ばら撒いた名刺の数に比例して、新顔の年賀状が増していきます。

 「ブログ読んでます」
 この言葉が、今年は多かったですね。
 このブログも、開設して丸3年。
 少しずつでありますが、認知されてきたようであります。


 雑煮を食ったら、初飲みに近くの公民館へ。
 うちの町内では、毎年元旦に「互励会」が行われています。
 読んで字のごとく、互いに励ます会です。
 と、言っても、ただの飲み会です。
 だからって、タダではありません。
 会費は、500円。
 ですから、すぐに元は取れます。

 自治会長のあいさつのあと、乾杯となり、ビールや焼酎、日本酒が飛び交います。
 「はい、小暮さん。グーっと空けちゃって!」
 「テレビ、見てますよ。あんたは町内の有名人だ」
 「新聞の連載記事、読んでますよ。あれは、本にならないのですか?」
 と、おだてられて、持ち上げられて、調子に乗って、グビ、グビ、グビ~!

 「みなさーん、小暮さんに我が町内史を書いてもらいませんか?」
 と長老が言い出したもんだから、僕もあわてて、
 「原稿料はしっかり、いただきますよ!」
 と、釘を刺しつつ、笑いをとりました。

 だって、たった100戸しかない町内です。
 売れても100冊ですから、元を取るのは大変です。
 定価を1万円にしないと作れませんよ。
 「町会費でまかなえ!」
 と誰かが叫んだけれど、その町会費は、我が家からも徴収するんでしょう?

 だんだん、現実味のない話になっていきました。


 ホロホロ酔いで、我が家へ帰ると、長女夫婦と孫が待っていました。
 「ジジーーッ」
 と言って抱きついてくる孫は、2歳半の男の子。
 孫の成長は、早いものです。
 子どもは毎日見ているので、その成長に気づきませんが、たまにしか会わない孫は、会うたびに驚かされます。

 小暮家の正月恒例儀式のために、車2台に分乗して、僕の実家へ。
 実家にて、両親と兄家族と合流。
 宴の始まりです。

 昨年、両親の兄弟が相次いで亡くなり、また義姉の父が亡くなったこともあり、本家は喪中。
 よって、「おめでとう」 は無しの乾杯のみの新年会となりました。


 メンバーは、父(88歳)と母(85歳)、兄夫婦と姪(東京在住)、僕と家内と長男と次女、そして長女夫婦と孫であります。

 「おい、ばーちゃん! 見てごらん、すごいねぇ~。俺とばあちゃんの2人が、12人になっちゃったよ」
 とボケ老人のオヤジが、嬉しそうに笑っています。
 「そうですよ、私とおじいさんが一緒になっただけでね。これこそが生きている意味ですよ」
 と、喜ぶオフクロ。

 確かに、不思議な話です。
 オヤジとオフクロが出会わなければ、残りの10人は、今ここにいないのですから。
 「これを子孫繁栄って言うんだよ。ありがたいね」
 と、オフクロが言えば、
 「おい、そこにいる子どもは、誰だ?」
 と、僕の孫を指さすオヤジ。
 「子か孫か? 誰だ?」
 さっきまで、ダッコして名前を呼んでいたのに、突発的にボケが始まります。

 「おじいさん、何を言ってるんですか、あなたの“ひ孫”ですよ!」
 とオフクロが言えば、
 「ひぇ~、ひ孫か! 本当かい、すごいね。俺には、ひ孫がいるんだ」
 と、ボケの連発をかまします。

 しまいには、隣で飲んでる僕の顔を覗き込み・・・
 「お前は、誰だ?」
 と、大ボケる。
 「マジかよ。じーさんは、息子の顔も名前も忘れちまったのかよ!」
 と、突っ込みを入れれば、

 しばらくして、

 「そーだ、ジュンだ。俺の息子だった」
 と、オチをつけて、全員から笑いをとる始末です。


 でもね、いいんですよ。
 昨年は、オヤジもオフクロも入院した年でしたからね。
 こうして、一族が元気に顔を合わせられただけで。

 あと、何年、こうして正月を迎えられるのだろうか・・・

 笑うオヤジとオフクロの顔のシワを、マジマジと見つめていた元日の夜でした。


 今年が、良い年でありますように・・・
  


Posted by 小暮 淳 at 14:33Comments(0)酔眼日記

2013年01月01日

年頭所感 ~宿の数だけ物語がある~


 新年あけましておめでとうございます。


 旧年中は、大変お世話になりました。
 おかげさまで昨年は、上毛新聞社様より 「群馬の温泉シリーズ」 の第4弾 『みなかみ18湯〔上〕』 を出版することができました。
 いよいよ今年は、完結編の下巻を4月に上梓いたします。


 “湯の数だけ歴史があり、宿の数だけ物語がある”


 温泉にまつわる話を1つでも多く拾い集めて、読者のもとへ届けることがライターという仕事を選んだ自分の使命だと思っています。
 今年も老体にムチ打って、年齢に劣らぬ軽いフットワークで、東奔西走しながら取材活動を続けて行くことをお約束します。


 また、これは、まだ未発表ではありますが、今年は、僕が作詞・作曲した 『GO!GO!温泉パラダイス~湯の国群馬県篇~』 が、群馬県の温泉PRソングに選ばれました。
 お披露目の日時、会場等の詳細につきましては、あらためて当ブログにて発表したいと思います。

 今年もよろしくお願いいたします。

                  平成25年 元旦  小暮 淳
     


Posted by 小暮 淳 at 00:55Comments(7)つれづれ