2013年01月05日
気絶しそうな人形
今日が、今年の仕事始めとなりました。
いや、書き仕事は2日からしていましたから、正確には初取材へ行ってきたということです。
でも、温泉ではありません。
某誌からの依頼による “達人” へのインタビューです。
今年最初の取材は、新春にふさわしく江戸末期から伝わる桐生からくり人形芝居の保存会の人たちを訪ねてきました。
桐生といえば、「西の西陣、東の桐生」 といわれるほどの織物の町。
上毛かるたにも 『桐生は日本の機(はた)どころ』 と詠まれています。
今でも、機械の音が乱反射して和らぐように屋根をギザギザにした 「のこぎり屋根」 の織物工場が残されている街として有名です。
僕は群馬県のタウン誌の編集をしていたので、桐生へはたびたび取材を訪れています。
また、何年か前まではJRの旅冊子の編集にもたずさわっていたので、のこぎり屋根工場や土蔵が多く残る街並み、名物のうどん屋などを取材しています。
もちろん、「桐生からくり人形芝居館」 のある有鄰館(ゆうりんかん) へは、桐生取材のたびに寄っています。
有鄰館とは、街の中心にある蔵群です。
塩蔵、酒蔵、醤油蔵、味噌蔵など9つの土蔵や煉瓦蔵からなり、現在はギャラリーや多目的イベントスペースして開放されている桐生の情報発信基地。
この蔵群の一番奥、ビール蔵にあるのが、からくり人形の芝居館です。
もちろん、ここも過去に見学をしたことがありました。
でも、見ると聞くとは大違い!(ふつうは「聞くと見るとは大違い」と言いますがね)
そう、見ているだけでは知りえなかった、復元・復活までの並々ならぬ努力と苦労話を保存会の人たちから、たっぷりと聞いてきたわけであります。
桐生からくり人形芝居のはじまりは嘉永5年(1852)、桐生天満宮御開帳で 「飾り物」 として行われました。
以後、9回の興行が行われましたが、昭和36年を最後に途絶えてしまいました。
時は流れ平成9年、桐生市内の蔵から江戸情緒を留めるからくり人形が発見されたのを機に、市内の有志が集まり前身となる研究会を発足。人形の復元を始めます。
平成11年に、レプリカ人形による「曽我兄弟夜討」の上演で、復活をとげました。
現在、保存会の会員は25人。
人形の頭以外は、舞台も衣装もすべて会員による素人の手作りだといいます。
その完成度の高さには定評があり、NHKテレビにも取り上げられ、多勢の参観者が訪れています。
研究会発足当初、日本人形学界の有識者が視察に訪れ、「気絶しそうな貴重な文化財」 と絶賛したといいます。
ご興味のある方は、毎月第1土曜日に 「桐生からくり人形芝居館」(有鄰館内) にて無料で上演されていますので、お出かけください。
Posted by 小暮 淳 at 21:02│Comments(0)
│取材百景