2025年01月08日
5,000歩以上は歩きません
「その後、ヒザの具合は、いかがですか?」
昨年の暮れから何人もの人に、声をかけていただきました。
みなさん、ブログを読んでくださっているのですね。
ご心配いただき、ありがとうございます。
治療は順調に進んでいて、回復に向かっています。
昨年11月、左ヒザの痛みに耐えかねなくなり、検査したところ、変形性膝関節症と診断されました。
その日から毎週、ヒザにヒアルロン酸注射を打ち続けてきました。
おかげさまで歩行には難なくなり、リハビリの成果もあり、かつての日常を取り戻しつつあります。
注射も週1回から2週に1回となりました。
昨日、今年最初の診察を受けました。
担当医は、僕の息子くらい若い先生です。
でも毎回、MRIで撮った画像を見ながら、とっても丁寧に症状を説明してくれます。
「そこに横になってください。痛かったら痛いと言ってくださいね」
先生は僕の左脚を持ち上げ、曲げたり伸ばしたり、ひねったりして回復の度合いを診てくれます。
「いいですね。だいぶ良くなっています。このまま頑張りましょう!」
そう言った後、いつものようにブスッとヒザの関節に、注射針を差し込まれました。
「ウッ!」
と僕がうなると、
「注射は痛いけど、ヒザは良くなりますからね」
毎回、同じ会話が繰り返されています。
でも今回は、朗報がありました。
「次からは、ひと月に1回にしましょう。それで様子を見て、大丈夫なら完治です」
やったー!
先生、ありがとうございます。
ガンバリま~す!
「リハビリは頑張ってますか?」
「はい! それと先生に言われたとおり、5,000歩以上は歩いていません」
「医者の中には、歩けば歩けるほど健康になるようなことを言う人もいますが、私は過剰なウォーキングは勧めません。歩き過ぎはヒザに負担がかかりますので、注意してくださいね。2,000歩から5,000歩内でお願いします」
ということで、5,000歩以上歩かないように気を付けながら、日々暮らしています。
昔ならば万歩計を腰に付けて歩いたのでしょうが、今は便利ですね。
ほとんどの携帯電話に、歩数計の機能が付いています。
ただね、5,000歩って、かなり微妙な距離なんですよ。
約4キロです。
ちょっと外出して、「疲れたな」 と感じると、優に5.000歩を超えています
ぜひ、みなさんも自分の歩数を計ってみてください。
2025年01月07日
父からのお年玉
元日に両親の墓参りをしたからでしょうか?
オヤジから思わぬプレゼントがありました。
昨日、かかりつけ医にて健診を受け、薬局に寄りました。
顔見知りの薬剤師は、僕と同年代の男性です。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
互いにあいさつを交わしました。
「どんなお正月でしたか? ゆっくりできましたか?」
と言ったら、こんな言葉が返ってきました。
「オヤジの遺品整理に追われていました」
聞けば、昨年の暮れに彼の父親が亡くなり、暮れも正月もなくバタバタと過ごしていたといいます。
何よりも大変だったのが、読書好きの父親が残した膨大な量の書籍だったようです。
「うちも大変でしたが、どうされました?」
「ええ、おかげさまで本好きの甥っ子が、軽トラで引き取りに来てくれました」
「それは、よかった! 本って、なかなか捨てられませんものね」
我が家もオヤジの死後、一年間かけて、アニキと処分したことを思い出しました。
薬局を出た僕は、その足で、兄夫婦が暮らす実家に、新年のあいさつに立ち寄りました。
するとアニキから、まるで、先ほどの続きのような話が……
「この手の本は、お前が読むだろ!?」
と、2冊の本を手渡されました。
整理したはずのオヤジの蔵書が、まだ残っていたようです。
『群馬県の歴史』 山川出版社
『地名考証 群馬 ―府県名の地名学研究―』 週刊サンデージャーナル
1冊は、すでに持っている本でしたが、もう1冊は、探していた本でした。
「へ~、こんな本を読んでいたんだ?」
「オヤジは歴史が好きだったからな」
「ありがとう、ありがたく、もらっていくよ」
なんだかオヤジからお年玉をもらった気分です。
昨晩は、ウィスキーを片手に、遺本のページをめくりました。
2025年01月06日
10万円、返せ!
みなさんは、どんな初夢を見ましたか?
僕は正月早々、奇妙な夢を見ました。
前半のストーリーは、あまりよく覚えていないのですが、ある団体に献金をしたようです。
その団体は、絵本の読み聞かせなどを行っているボランティア団体で、僕的には趣旨に賛同した上で支援しました。
金十万円也
(現実の僕には絶対にありえませんが、夢の中では太っ腹です)
この後の夢は鮮明に覚えています。
後日、この団体の事務所を訪ねました。
すると……
白装束に身を包んだ初老の女性が現れ、こう僕に言ったのです。
「この度は、当教団にお布施をいただきありがとうございました」
教団? お布施?
僕は、だまされていたのです。
ここは新興宗教の事務所だったのです。
「お前ら、だましたな! 俺の10万円を返せ~!」
そう絶叫したときに、夢から覚めました。
寝覚めの悪い夢です。
今年一年の苦難を暗示しているのでしょうか?
そこで、さっそく夢判断で占ってみました。
まず、新興宗教との出会いです。
大きなものに身をゆだねる予兆があるそうです。
吉夢の場合、新たな価値観をもたらす人との出会いを意味します。
逆に凶夢の場合は、身近な人から必要に以上に干渉されるかもしないとのことです。
では、金をだまし取られる夢は?
金銭的な不安や不満が反映されているとのこと。
これから起こる変化から目を背けていることを表し、金額が大きいほど事態は深刻なんだそうです。
10万円は、僕にとっては大金です。
かなり深刻な事態が今後、待ち受けているということです。
というこで、総評です。
吉夢でも凶夢でも、人との出会いや人との関わりが結果を左右する年になりそうです。
そして、僕の人生は相変わらず金銭的な苦労が付きもののようです。
今年も一年間、人との出会いを大切にして、つつましやかに生きて行こうと思います。
2025年01月05日
正月雑感 ~消えゆく風景~
問題です。
次の文章は辞典 (新明解国語辞典) に記載されている、ある言葉の語訳です。
さて、その言葉とは?
<きれいな物を見て楽しむこと。同様においしい物を食べて、また、おもしろい話を聞いて楽しむことを、それぞれ〖舌の―〗〖耳の―〗という>
分かりましたか?
ちょっと難しいですかね。
では、他の語訳を読めば、すぐに分かると思います。
<一年の第一の月> <年の初めの祝いをして、仕事を休む期間>
正解は、「正月」 です。
とっても特別の日々だったことが分かります。
国民総参加の一大イベントだったとも言えますね。
でも今は、どうでしょうか?
特別感って、ありますか?
昭和の時代は、まさに、この辞書の語訳のとおりでした。
きれいな物を身に着け、おいしい物を食べて、おもしろい遊びをして過ごしました。
誰もが正月が来ることを待ち望んでいました。
それは、「年神様」 を迎え入れるためです。
年神様とは、その年一年の福徳をもたらす神様です。
そのために年末になると大掃除をして、家を祓(はら)い清め、門松を立て、国旗を掲揚して、神様を迎える準備をしたものです。
もちろん、神様が来るときに誰一人、家を留守にするわけにはいきません。
仕事は休むのが当たり前。
商店主たちも三が日は店を休み、年神様を迎えます。
いつからでしょうか?
クリスマスやハロウィンは祝っても、正月を祝わなくなってしまったのは?
国旗も門松も松飾りも、まったく見かけません。
(我が家は小さな玄関飾りを付けています)
思えば、昔は車にまで松飾りを付けて走っていました。
街のどこを歩いても、正月一色だったのです。
これも時の流れだから仕方がないのでしょうか?
でも、消えゆくモノがあるなら、新しく生まれてくるモノがあるはずです。
これからの (令和以降) の正月の風景は、どのように変化するのでしょうか?
凧あげ、コマ回しは消え、子どもたちは何をして過ごしているのでしょうか?
ゲームですか?
でも、それって正月に限ったことじゃありませんよね。
消えゆく風景の中、令和の現代らしい正月の風景を探しています。
2025年01月04日
熱いぞ! 火山性温泉
新春第1回目の放送は、“あつ~い温泉” について、お話しします。
群馬県は、なぜ、「温泉大国」 って言われているか知っていますか?
それは、特殊な地形が関係しています。
一番標高の低い所は、約13メートル (板倉町)。
一番標高の高い所は、約2,500メートル (日光白根山)。
この標高差が、ありとあらゆる温泉を生み出しているんです。
しかも県中央には、赤城山~榛名山~浅間山という火山ラインが大きな壁を作っています。
この南側から関東平野が始まるんですね。
そして北側は、さらに草津白根山と日光白根山という活火山に囲まれています。
これによって、北は火山性の温度の高い温泉が湧き、南は非火山性の温度の低い温泉が湧いています。
そのため、あらゆる泉質の温泉が湧く、まさに群馬は 「温泉のデパート」 なのです。
ということで今回のテーマは、火山性が生み出す “あつ~い温泉” です。
ちなみに群馬県で一番熱い温泉は、どこにあるか、ご存じですか?
草津温泉の万代鉱源泉です。
約95度もあります。
では、その次は?
番組では、僕が熱過ぎて入れなかった温泉や、命からがらやっと入った温泉など、エピソードを交えながらお話しします。
お楽しみに!
■放送日 1月8日(水) 18:37 頃~
■放送局 FM GUNMA (86.3MHz)
■番組名 『news ONE』 月~水 18:00~18:55
■出演者 岡部哲彦 (アナウンサー)、小暮 淳 (温泉ライター)
2025年01月03日
年頭書簡 ~令和の常識?~
“年賀状ばなれ” が加速しいてます。
背景には、メールやSNSの普及による 「若者離れ」 と、高齢者の終活による 「年賀状じまい」 があるようですが、それだけでしょうか?
令和の人々は、「年賀状」 にメリットを感じなくなったからのような気がします。
僕が思うに一番の理由は、“義理の人間関係” の整理です。
義理と人情がまかり通っていたのは、昭和の時代です。
令和は、簡単で便利であることが最優先となりました。
だから、手間と費用のかかる年賀状は、排除される対象となってしまったのです。
そこへ追い打ちをかけるように、郵便料金の値上げです。
今年が 「年賀状じまい」 の絶好のタイミングになったようです。
ということで今年、僕のところに届いた年賀状は、過去最低の枚数となりました。
数年前から傾向はありました。
でも、最初は高齢を理由とした 「年賀状じまい」 だけでした。
ところが昨年は、若い人からも 「年賀状じまい」 の報告が数枚ありました。
理由は、郵便料金の値上げです。
結果、昨年は手元に、未投函の年賀状が20枚も残ってしまいました。
今年は、さらなる減少を見越して、昨年よりも少なく年賀状を発注しました。
案の定、それでも予想以上に激減しています。
(今年も余ってしまいそうです)
届いたのは仕事関係がほとんどで、古い友人や知人など、個人の年賀状は昨年の半分以下になりました。
これも時代の流れなんでしょうね。
昭和の常識は、令和の非常識?
今後は、これが “令和の常識” となっていくのでしょうね。
数十年後、昭和~平成の 「あるあるネタ」 として、話題に上るのかもしれませんね。
「そういえば昔、年賀状って出したよね!?」
「ああ、あったあった! 資源の無駄遣い、今じゃ、SDGs的にアウトだよね」
なんてね(笑)。
2025年01月02日
初墓参 2025
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
新しい年が明けました。
みなさんは、どんな正月を過ごしていますか?
寝正月、見正月、食正月、呑正月、遊正月……
なかには、仕事をしている人もいるでしょうね。
僕は今年も恒例となっている 「初墓参」 へ行ってきました。
今年最初の墓参りです。
3年前の元旦。
新年のあいさつに来た長男が、突然、「これから墓参りに行くけど、お父さんも行く?」 と言い出したのです。
車の中には、線香と花まで用意してありました。
話を聞けば、彼は僕の両親が亡くなった翌年から毎年、1月1日に墓参りをしているといいます。
正直、これには驚きました。
だって実の息子の僕でさえ、命日と盆と彼岸にしか墓参りはしていません。
(実兄に聞いても同じでした)
なぜに孫の彼は、元日に墓参りをするのか?
問えば、彼いわく、
「以前は神社に初詣でをしていたけど、おじいちゃんとおばあちゃんが死んでから思ったんだ。知らない神様にお参りするんなら、知っている仏様にお参りしたほうが、いいなって」
これまた、目からウロコでした。
言われてみれば、なるほど、彼の言葉には説得力があります。
彼にとって一番身近な仏様は、祖父と祖母なのであります。
2人は生前、孫をとっても可愛がっていました。
となれば、孫の願い事を叶えようとしてくれるはずです。
ということで今年も彼の車で、両親が眠る霊園へ行ってきました。
彼は完全に 「墓参マイスター」 であります。
とにかく手際がいいんです。
墓所に着くと、ササッと簡単に落ち葉を手で払い、一本一本花差しを引き抜いて、中の雨水を捨てると、桶の水を丁寧に墓石にかけました。
「お前、慣れてるな」
「うん、墓参りってさ、なんだか心が落ち着くんだよね」
とは、あっぱれ!
線香にチャッカマンで火をつけながらも、こんなことを言いました。
「この線香、安いやつだから火の付きが悪いね」
「高いやつは違うのか?」
「そうだよ」
「ごめん」
と謝ったのは、線香は僕が用意したのでした。
「今度からケチらずに、もう少し高い線香を買っておくよ」
「別にいいけど」
とかなんとか、ご先祖の前で、新春親子放談をしてきました。
思えば両親にとって彼は、たった一人の男の孫なんですね。
だからか、彼が生まれたときオヤジは、「これで墓守ができた」 と大変よろこんでいました。
今の時代、ナンセンスな昭和的考え方ではありますが、もしかしたら彼の中には、その言葉が刷り込まれているのかもしれません。
だって生前、オヤジは、よく彼を霊園に連れて来ていましたもの。
たぶん、「おじいちゃんは死んだら、この中に入るんだよ」 なんて、孫に話していたんじゃないかな。
オヤジ、オフクロ、あけましておめでとう!
こうやって、みんな元気に新しい年を迎えたよ。
今年も一年間、みんなを見守っていてくれよな!
僕らは手を合わせました。
「お腹減っちゃった~! おいしいものを食べに行こうよ~!」
同行した次女の声を合図に、僕らは霊園を後にしました。