2012年06月06日
水上温泉 「天狗の湯 きむら苑」
“水上温泉に秘湯の一軒宿あり”
昨日は昼過ぎから猿ヶ京温泉に入り、取材。
夕刻より、仏岩トンネルを抜けて、水上温泉へ移動。
昨晩は、「天狗の湯 きむら苑」 に泊めていただきました。
ずーっと、気になっていたのですよ。
利根川左岸の道を通るたびに、ポツンと温泉街から離れた渓谷のほとりに建つ、温泉旅館があることを。
常々、ウワサも聞いていました。
「湯がいい」 ってね。
だから、ぜひ一度、取材にうかがいたいと思っていたんです。
で、昨晩、念願かなって、“奇跡のぬる湯” 天狗の湯源泉を思う存分に体感してまいりました。
水上温泉は、旧温泉名を 「湯原温泉」 といいます。
その昔、ここは茨原(いばら)村と名のっていたそうですが、温泉が湧いたことから湯原村になったといいます。
やがて、水上町となり、温泉名も水上温泉となりました。
ですから水上温泉の温泉街は、利根川の右岸、旧湯原地区にあります。
しかし、「天狗の湯 きむら苑」 は、まるで一軒宿のように、利根川の支流である小日向(おびなた)川の岸で、ひっそりと湯けむりを上げています。
開湯は昭和52(1977)年。
現主人の木村孝幸さんの祖父で、農業を営んでいた盛三郎さんの夢枕に、弘法大師が3日間、立て続けに現れ、温泉のありかを告げたといいます。
そこは、自分の家の敷地内。
水車小屋のほとり。
昔から雪どけの早いところで、不思議に思っていた場所です。
しかし、掘削するも温泉は出ず、失敗!
それでも盛三郎さんは、へこたれませんでした。
5年後、不屈の精神で、再度掘削に挑戦しました。
すると、毎分230リットル、泉温約40℃の温泉が湧き出しました。
「その時の、飛び上がって喜んでいたオヤジの嬉しそうな顔を覚えていますよ」
とは、先代主人の木村光一さん。
当時は、東京でサラリーマン生活をしていましたが、「温泉が湧いた」 と父の盛三郎さんに呼び戻され、脱サラをして旅館業を始めたといいます。
その奇跡の湯が湧いた場所の地名は、“小日向字天狗下”。
昔、奥山から天狗が下りて来たという伝説が残るところです。
なんだか不思議な話ですが、もしかしたら天狗が、温泉の神様として知られる弘法大師に姿を変えて、盛三郎さんの夢の中に現れたのかもしれませんね。
その湯は、無色透明なれど、弱アルカリ性でやさしく肌にまとわり付きます。
源泉の温度が約40℃ですから、男女混浴の大露天風呂は、かなりぬるめになっています。
でも、これが実にいいんです。
そもそも僕は、ぬる湯派ですから、ゆっくり、のんびり、時に泳いだりしながら、存分に堪能しましたよ。
いい湯に入ると、テンションも上がるし、頭がさえ、思考能力もメキメキと上がってきます。
夕食の後も、寝るまでの間に、2回も内風呂へ通ってしまいました。
で、僕は思ったのであります。
“水上温泉に秘湯の一軒宿あり”
我は名づけん、「小日向温泉」 と・・・
2012年06月04日
谷川温泉 「旅館たにがわ」③
今年になって、2度目の谷川温泉です。
前回は、4月に温泉講座でお邪魔しました。
今日、「旅館たにがわ」を訪ねたのは、ほかでもありません。
ズバリ、6月19日の 『桜桃忌』 に合わせた取材です。
『桜桃忌』 とは、作家・太宰治の命日です。
本当の命日は、その数日前ですが、太宰ファンにとっては玉川上水に入水自殺をして、遺体が上がった日を命日とし、全国で追悼記念式典が行われています。
ちなみに、“桜桃” とは、太宰治の最後の作品タイトルです。
(太宰治と 「旅館たにがわ」 との関係については、当ブログ2010年6月19日の 「谷川温泉 旅館たにがわ」を参照)
と、いうことで今日は、じっくりと2代目女将の久保容子さんに、お話をうかがってきました。
「旅館たにがわ」 が、太宰治ゆかりの宿だと判明したのは、昭和50年代のことです。
女将自身、太宰文学研究家の長篠康一郎先生が訪ねて来て、初めて太宰治とこの旅館の関係を知ったといいます。
「旅館たにがわ」 の前身は 「谷川本館」 といい、それ以前は 「川久保屋」 という旅館でした。
昭和11年8月、太宰治は約1ヶ月間、療養のために、この川久保屋に滞在しています。
このときの滞在経験をもとに、書いた小説が 『姥捨(うばすて)』(昭和13年) です。
また、この滞在中に執筆した 『創生記』 は、のちにあの不朽の名作 『人間失格』 を書くきっかけとなった作品だと言われています。
「命日には、全国から太宰ファンが訪れます。私たち社員一同も、文学碑に献花をいたします」
川久保屋があった現在の駐車場には、「太宰治 『姥捨』 の宿」 の文学碑が建てられています。
2012年06月03日
温泉トークショー
この数年、「温泉の話をしてください」 というお誘いがあり、講演やセミナーの講師をする機会が多くなりました。
ほとんどの場合が、企業や団体からの依頼ですから、特定の人たちを対象にお話をしています。
たまに、市町村や教育委員会から依頼を受けて、セミナーを開くことがありますが、この場合は定員制で、事前の応募が必要となります。
ですから、完全なる不特定多数を対象とした「講話」というのは、滅多にありません。
不特定多数を相手に話をするのは、テレビかラジオということになります。
が、
このたび、
完全なる不特定多数を対象とした
「トークショー」 を開催することになりました。
そ、そ、それも、会場は、お祭り(イベント) の広場です!
最初、お話をいただいたときは、正直言って、迷いました。
不特定多数が対象で、しかも会場がイベント広場・・・
はたして、温泉のトークショーなんて、成り立つのでしょうか?
ところが、担当者と打ち合わせをさせていただくと、とても熱心で、しかも僕のことを良く知った上での依頼だったため、異例のパターンではありますが、お受けすることにしました。
主催は、「市民葬儀相談センター」(メモリードグループ) です。
毎年開催されている 『大友市』 というイベントの一環として、僕がトークショーを行います。
当日は、僕のコーナー(温泉ブース) が開設され、終日、著書が販売されます。
(運良く、ブースに僕がいれば、サインもいたします)
おヒマな方は、遊びにいらしてください。
待ってま~す!
2012 『大友市』
●日時/2012年 6月16日(土)
10:00~16:00
※入場無料
●会場/市民葬儀相談センター 前橋店
群馬県前橋市大友町1-5-5
(国道17号、群馬銀行本店前)
●問合/ TEL.027-253-4445
「温泉ライター 小暮 淳のトークショー」
13:30~ みんなの広場
2012年06月02日
水上温泉 「ひがきホテル」
昨年から足しげく通いながら、取材活動を続けている水上温泉。
今秋の出版に向けて、いよいよラストスパートがかかっています。
取材する旅館も、残りわずかとなりました。
僕は現在、新聞や雑誌、ウェブサイトに週刊、隔週、月刊といくつかの連載を書いていますが、やはり本の出版が一番骨の折れる作業です。
取材および制作についやす時間は、約1年間。
紅葉の時季にスタートした今回の取材も、雪の景色を見送り、新緑を迎え、そろそろ季節はひと回りしようとしています。
制作日数は、あと2ヵ月半となりました。
雑誌や新聞の取材と違い、本の出版には、たくさんの人の協力が必要となります。
もちろん文章は僕が書いていますが、それだけでは本は出来上がりません。
編集者、ディレクター、デザイナー、カメラマン、印刷技師・・・その他にも大勢の人たちが関わっています。
取材や執筆に対しては、各市町村役場、観光協会、温泉協会の人たちの協力が甚大です。
たとえば、「○○温泉の歴史を知りたいので、温泉史か村史などの資料が欲しいのですが?」と僕が要望を出すと、「はい、ご用意します」と完全バックアップをしてくださいます。
また、取材先のアポ取りやスケジュールの調整、宿泊先の手配なども、お世話になります。
さらに、旅館やホテルのご主人や女将さんたちにも、多大なる協力をいただいています。
横のつながり(ネットワーク)を利用して、最新の情報や資料を提供していただいています。
水上温泉の 「ひがきホテル」 も、そんな取材協力をしてもらっている宿の1つです。
社長の日垣雄亮さんは、老舗ホテルを背負って立つ若き4代目です。
昨年の12月に取材でお邪魔して以来、意気投合し、何かに付けて協力をしていただいています。
今週も泊めていただき、「ひがきホテル」 をベースにして、温泉街および周辺の取材に動きました。
旅館やホテルには、当然、その宿の取材目的で泊めていただくのが大半なのですが、「ひがきホテル」 のように活動拠点として泊めていただける宿があると、非常に助かります。
特に、これから取りかかるグラビアや表紙撮影、コラムやエッセーのネタ探しでは、どうしても現地に泊まり込んでの取材が必要となるからです。
さて、毎回、表紙やグラビアの写真を楽しみにしている読者も多いと思います。
現在、そのためのロケハンも同時進行しています。
どんな写真になるかは、現在、僕にもわかりません。
僕を含め、ディレクターとカメラマンとデザイナーが、東奔西走しながらベストショットポイントを探している最中です。
みなさんも、ぜひ、楽しみにしてお待ちください。
2012年06月01日
密談は陽気に居酒屋で
さる会社の社長さんから、電話がありました。
「小暮さん、近々時間を作っていただけませんか? ご相談させていただきたいことがありまして。お忙しいようでしたら、平日の昼間、どこかでお茶を飲みながら……。できれば、夜にゆっくりと一杯やりながら、なんて考えているんですが」
と、言われれば、当然、どんなに忙しくっても、“夜にゆっくりと” お会いするに決まっているじゃあ~りませんか!
それも、なんだか、声のトーンでは、あやしい仕事の話っぽいですぞ!
“密談”っていうやつですかい!
だったら余計、昼間より夜のほうが、イイに決まっています。
ということで、昨晩は、ノコノコと高崎まで出かけて行きました。
おお、高崎の街で飲むのは、久しぶりであります。
ということは、電車に乗るのでさえ、1年ぶりくらいです。
まだ夕方の5時台です。
なつかしい、学生さんたちの匂いに包まれながら、車窓の風景を楽しんでいました。
改札口に出ると、ちゃんと、さる会社の社長さんがお出迎えです。
「お忙しいのに、申し訳ありません」
「いえいえ、毎日、ヒマしていますから。それにしても、今日は、絶好の飲み日ですね」
と僕が言えば、
「もう、昼間から飲みたくてウズウズしていましたよ」
と社長さん。彼も、僕に負けず劣らずの飲兵衛であります。
これですもの、所詮、昼間にお茶しなからの密談なんて、無理だったのであります。
駅の構外へ出ると、にぎやかであります。
さすが、高崎は北関東の雄でありますな。
前橋駅前とは、活気が違う。
「笑○でーす!」「魚○でーす!」
「飲み放題、○○円です」
いやいや、駅前からして居酒屋の呼び込み合戦が始まっています。
これは、スゴイ!
あっという間に、手には、各店の割引券がたまっていきます。
「とりあえず、カンパイ!」
どこでもいいと言いながらも、鮮魚が食べられる店を探して入るところなんぞは、さすが飲兵衛であります。
目の前には、アジのお造りが、ドーンと置かれています。
「で、ご相談なんですけども・・・」
と、いよいよ、待ちに待った “密談” の始まりであります。
「うんうん、うんうん、うんうん・・・」
と社長の話すプロローグを聞きながら、僕は食って飲んで、食って飲んで、大ジョッキを飲み干して、中ジョッキをお替り。
そろそろ冷酒に切り替えようかと、店員を呼ぼうとしたその時!
「と、いうことで、お力を貸していただきたいのですが」
えっ? お力? 僕の?
僕に力なんて、ありませんって。
でもね、僕にできることなら、何でもしますよ。
「面白そうじゃ、ありませんか。やりましょうよ!」
ということで、あっけなく “密談” は成立。
なんていうことは、ありません。
密談だと思っていたのは、僕だけだったようです。
密談という名の飲み会は、日本酒に切り替えて、延々と続いたのでありました。
めでたし、めでたし(二日酔い)。