2012年11月03日
もう忘れちゃった
「二度と会えないんじゃなかろーね」
そう言って、手を振りながら、オヤジは泣くのであります。
おいおい、戦地へ長男を見送っているんじゃ、ねーよ!
昨日、東京へ帰る兄を新前橋駅まで、送り届けた車の中での出来事です。
いったん、車から出た兄も、後ろ髪を引かれたのか、
「すぐ、帰って来るからさ。オヤジ、泣くなよ。淳の言うことを聞いて、待っててくれよな」
と、ふたたび戻ってくる始末です。
もう、まるで、保育園児と父兄の関係であります。
本来、子の面倒を看るのは親の義務であり、親の面倒を看るのは子の責任でありますから、長男だから次男だからという区別はありません。
まして我が家の場合、長男は東京で暮らし、次男の僕が実家のある同じ市内に暮らしているのですから、僕がメインで親の面倒を看るのが筋かもしれません。
でも、いろいろと事情がありまして、ボケ老人のオヤジの面倒を東京在住の兄が前橋に帰省して看てくれているのです。
(事情については、当ブログの10月27日「“ありがたい”のは、どっち?」を参照)
と、いうことで、またしても兄のピンチヒッターで “1泊2日 実家の旅” へ行ってきました。
しかし、先週よりも、事は深刻であります。
残念ながら、オヤジの記憶能力の衰退は、急速に進んでいたのです。
前回、オヤジのボケ症状のことをパソコンの機能に例えて、「上書き保存」 ができない状態と形容しました。
5分と記憶が持たないからです。
でも・・・
今は・・・
1分と、持ちません。
上書き保存どころか、画面に入力するそばから文字が消えてしまう状態です。
本人も、歯がゆいんでしょうね。
「最近、ボケたかもしれない・・・思い出せない」
なーんて、言っていますから~!
ちょっと待ってよ、“思い出せない”っていうのは、以前記憶したことに対して使う言葉ですよ。
オヤジの場合は、“思い出せない”んじゃなくて、そもそも記憶してないのッ!
まー、金魚のフンのように家の中で僕にへばりっついて、隣で九官鳥のように、
「今日は何日だ?」「オレは何をすればいい?」「○○○(兄の名)は、どこへ行った?」「お前は、今夜泊まるの?」「夕飯は誰が作ってくれるの?」・・・・
を繰り返し続けるのですから、たまったものじゃありません。
オフクロは、この九官鳥攻撃に参ってしまい、入院してしまったのであります。
午後7時。
年寄りの就寝時間は、早いのです。
2階の部屋に寝かしつけて、「やれやれ、これで、ゆっくりと自分の時間を過ごせるぞ!」 と、僕は実家1階のリビングで、冷酒を取り出して、安堵と至福の時間を迎えたのであります。
仕事は、持ってきていません。
見たいテレビもありません。
その代わり、昨晩は、好きな落語をじっくり聴こうと、何枚もCDを準備しておいたのです。
立川志の輔と春風亭昇太。
昇太さんと僕は、歳が1つ違いです。
何年か前に、仲間が前橋へ昇太さんを呼んで、寄席を開き、打ち上げで一緒に呑んだことがありました。
テレビで見る人柄、そのもので、とても好感が持てましたよ。
それ以来、昇太さんの落語は、良く聴くようになりました。
トトン、トントン、トトン、トントン・・・・
お囃子とともに、軽快な枕が始まります。
部屋の照明を少し暗くして、冷酒をチビリチビリ、イカの足をカミカミしながら、昇太さんの 『権助魚』 を聴き入っていたのです。
すると、
トン、トン、トン・・・
お囃子ではありません。
イヤ~な、予感です。
オヤジが、階下へ下りてくる音です。
ガラガラと戸が開いて、
「お前は、今夜、泊まるんだよな?」
と、パジャマ姿のオヤジの登場です。
「そーだよ」
「どこに、寝るん?」
「2階だよ」
「オレの隣で、寝るん?」
「そーだよ」
「本当だよな?」
「本当だよ!」
「よし、分かった。ありがとね」
もーう、落語の筋が分からなくなっちまったじゃないの!
これが、10分おきくらいに、繰り返されるのです。
そのたびに、僕はCDプレーヤーのボタンを押して、チュルチュルチュル巻き戻さなくてはなりません。
そして、何回目かに2階から下りてきたときのこと。
そっくり同じ会話をして、階段を上り出したと思ったら、すぐに戻ってきて、
「もう忘れちゃった。もういっぺん、話しておくれよ」
だと!
堪忍してくださいよ。
もう、いやだ!
我慢がならん!
結局、僕のほうが根負けしてしまい、落語をあきらめて、オヤジの隣に蒲団を敷いて、一緒に寝ることにしました。
時間は、まだ9時前ですよ。
アニキ、あんたは、偉い!
2012年11月01日
大胡温泉 三山の湯 「旅館 三山センター」⑤
ずーっと、気になっていたんです。
「東京の大学から温泉の検査をしたいっていう電話があったのよ。どうも小暮さんの記事で、うちの湯のことを知ったらしいわよ」
と、大胡温泉の一軒宿 「旅館 三山センター」 の女将、中上ハツヱさんから電話があったのは、半月ほど前のことでした。
気にはなっていたんですけれど、なんだかんだと忙しさにかまけて、なかなか訪ねることができませんでした。
でも、今日やっと、女将さんに会いに行ってきました。
「ほんと、小暮さんの読者っていうお客さんが多いわよ。小暮さんに記事を書いてもらわなかったら、うちは、とっくにつぶれていたわね」
なーんて、会うなり、うれしいことを言われてしまい、気分はゴキゲンになってしまいました。
フロントには、ドーンと僕の著書が山積みにされています。
また、館内のいたるところに、僕が雑誌や新聞に書いた記事のコピーがペタペタと貼られています。
なんだか、体中がくすぐったくなってきましたよ。
まるで、これでは、僕がオーナーをしいてる旅館みたいじゃありませんか!?
「小暮さんって、どんな人ですか?って、よく訊かれますよ」
「で、女将は、なんて答えてるの?」
「笑顔が、とっても可愛い人よ、って」
オイオイ、勘弁してくださいよ。
50代半ばのオヤジをつかまえて、“笑顔が可愛い” は、ないでしょう!
ほかに、別の答え方はないの?
僕の読者だって、きっと違う答えを待っていると思いますよ。
で、本題であります。
女将が僕に電話をくれた2日後。
やって来たのだと、言います。
「こういう人が、若い人を連れて訪ねてきたのよ」
と言って、女将が差し出した名刺は・・・
うげーーーっ!
な、な、なんですと~~!
「○○大学教授 工学博士」 と書かれていました。
東京の有名な大学の教授が、直々に、訪ねて来たということです。
「私さ、その日は忙しくてさ、バタバタしていたものだから、良く覚えていないのよ。たぶん、ポリ容器かなにかに温泉をくんで帰って行ったと思うのよね」
ったく、女将ったら、そこが肝心なところじゃないの!
ちゃんと、しっかり思い出してちょーだいよ!
では、なんで大学教授は、大胡温泉の湯を採取しに来たのか?
僕の読者ならば、みなさんご存知ですよね。
そうです!
井戸水だと思って長年使っていた水が、実は温泉で、しかも女将さんをはじめ、たくさんの人のリウマチを治したという “奇跡の湯” だったのです。
(詳しくは、当ブログの大胡温泉 三山の湯 「三山センター」①~④を参照)
今日は、名物の 「もつ鍋」 をいただいて、もちろん、しっかり “奇跡の湯” にも浸かって、ポッカポッカに温まって帰ってきました。
女将さん、大学からの検査結果が出たら、ちゃんと僕に報告してくださいね!