2014年06月03日
写真家の魂
カメラマンと写真家の違いは・・・
依頼された写真を売って生計を立てている人か、自らのテーマを追い続けて作品を発表している人か。
だとしたら、彼女は、正真正銘の写真家でした。
外山ひとみさん 享年55歳。
今月1日、肺炎のため死去されました。
僕がひとみさんに初めて会ったのは、今から37年も前のこと。
東京・目黒区の、とあるマンションでした。
僕は音楽学校の学生。彼女は写真学校の学生。
共通の友人から紹介されました。
当時、僕らは群馬の田舎から上京してきた、さえないカントリーボーイ。
その中で紅一点、彼女はまぶしく輝いていました。
タンクトップにパンプス、カーリーヘア。
美人で、おまけにスタイルがバツグン!
男女問わず、誰もが、「ひとみさん、ひとみさん」 と言いながら群がっていました。
彼女の才能は、当時から目を見張るものがありました。
高校時代には、すでに写真コンテストで2年続けて市長賞を受賞。
20歳で処女写真集を出版。
その後、有名写真家のアシスタントを経て、フリーのフォトジャーナリスとして世界中を飛び回ってきました。
特に “ひと、アジア、生きる” をテーマにしていて、ベトナム南北1万キロをカブで縦断するなど、数々のアジア本を出版しています。
また20数年前からは、全国の刑務所を訪ね、女子受刑者らを取材して、その実態を発表してきました。
※(著書に 『ニッポンの刑務所』 『女子刑務所』 など)
また、女として生まれながら男として生きている 「MISSダンディ」 の写真集が話題になり、ビートたけしの 『誰でもピカソ』 などテレビ番組にも出演していました。
※(2008年、『ベトナムの女たち』 が、巨大写真集としてギネス記録に認定されました)
大人になってからは、もう30年以上会ってはいませんでした。
でも彼女は著名人ですからね。
今、何をしているか、どんな本を出したかは、いつも仲間内の話題でした。
その彼女が昨年から体調を崩して、入院しているというウワサは聞いていました。
でも、まさか、そんなに悪いとは思ってもいませんでした。
今日、新聞は各紙一斉に彼女の訃報を知らせました。
朝から僕のところにも、友人たちから驚きのメールが届いています。
彼女の口ぐせは、“表現することは天職”。
まさに、その天職を最期までまっとうした彼女らしい素晴らしい人生だったと思います。
今晩は、彼女の著書を眺めながら、写真家の魂に献杯を捧げたいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
ひとみさん、さようなら。
2014年06月02日
うそ泣き
「朝食かい? 昼食かい?」
「なに言ってるんですか、おとうさん。昼食ですよ」
オヤジとオフクロが、そろってリビングへやって来ました。
今日の昼のこと。
実家の台所で、僕は両親のために 「冷やしたぬきそば」 を作っていました。
「ほれ、できたよ。どうせ、じいさんは残すんだから、少しにしといたから。全部食べてくれよ」
そう言って僕は、2人の前に天かすをのせた 「冷やしたぬきそば」 の器を並べました。
先週末から実家に泊まり込みで、僕は両親の面倒を看ています。
「これは朝食かい?」
「だから、おとうさん、さっき昼食だと教えたでしょう」
と、困惑気味のオフクロ。
「そうか、昼飯なんだな・・・」
と言って食べ出したのもつかの間、
「これは朝食だっけ?」
オヤジの痴呆は、急ピッチで進んでいます。
「だから、おとうさん・・・」
とオフクロが口を開いたところで、たまりかねた僕が大声を上げました。
「朝食でも、昼食でも、どっちでもいいだろ! そんなことより、ささっさと食ってくれよ。いつまで経っても片付かないからさ」
あまり僕が大声を出したものだから、オヤジもオフクロも黙ってしまいました。
ちょっと、言い過ぎたかもしれません。
でもね、これが延々と続くんですよ。
介護している身には、たまったもんじゃありません。
「ああ、お腹いっぱいで、もう食べられない」
と、箸を放り出すオヤジ。
見れば3分の2以上も、そばが残っています。
「もう少し食えよ。作ったオレの身にもなってくれよ。毎回毎回残されてさ。張り合いが悪いよ」
と僕が言えば、
「いいよ、いいよ、おとうさんの分は、私が食べるからさ」
と、救いの手を差し伸べるオフクロ。いつも、そうだ!
だからオヤジが、我がままになってしまうんだ。
ふ~、と一息ついて、アイスコーヒーを飲んでくつろいでいると・・・
「やめてよ~! おとうさん。私はまだ、食べているんですよ」
と、オフクロの叫び声。
振り返ると、食事をしているオフクロの前で、オヤジが上下2つの入れ歯を両手に持って、ペロペロとなめ回しています。
「こらっ~! じいさん、何度言ったら分かるんだよ。入れ歯を人前で出しちゃダメだって言ってるだろう!」
と、一瞬にして頭に血がのぼってしまった僕は、オヤジを叱り飛ばしました。
すると・・・
「エーーーン、エーーーーン」
と、大声を上げて、子供のように泣き出すではありませんか。
ウソだろ? それじゃ、マンガだろう。
こんなの初めてだぜ。マジかよ~。
ビックリしたのはオフクロも同じです。
「そんなに怒らなくてもいいだろう。デイサービスでも、時々やってるんだけど、介護師の人は耳元でやさしく注意しているよ。これじゃ、おとうさんが、かわいそうだよ」
なんて、オフクロは、またしてもオヤジをかばいます。
「エーーーン、エーーーーン」
さらに大きな声を上げるオヤジ。
でも僕は知っているんです。
オヤジが時々、手のひらの隙間から、僕とオフクロを見ていることを。
もしかしたら、会話だって聞こえているのかもしれませんって。
しかも、涙が出てないし!
じいさん、 あんたは松田聖子かいっ!
「ばあさん、だまされちゃダメだよ。じいさんは、都合の悪い時だけ聞こえないふりをしたり、泣いたふりをするからよ」
「本当かい? ……あれ、本当だ! だまされたよ。いやですよ、おとうさんたら」
なんて言って、オフクロは笑いましたが、僕は笑えません。
笑えるもんですかーーーーっ!
おい、じいさん! 今度、うそ泣きをしたら昼飯は抜きだからな!
もちろん、晩酌の焼酎もだよ。
だからさ、頼むから、息子の言うことを聞いて、おだやかな老後を送ってください。
お願いします。
2014年06月01日
108のターニングポイント
1冊の本が、届きました。
『人生の分岐点』(発行/ライフプラン21)
副題に、「~困った時の一冊~相談ナビ」 と付いています。
発行元のライフプラン21とは、群馬県内を中心に活動しているファイナンシャル・プランナーや弁護士、弁理士、税理士、公認会計士など、“人生設計とビジネス支援” の専門集団です。
一見、アウトローの僕とは無縁の集団に思われますが、実は僕も、この本に一筆寄稿しています。
タイトルは 『一片の紙切れ』。
僕が、ライターという職業を目指すきっかけとなったエピソードを書いています。
で、なんで僕なんかが、そんなお堅い人たちにまざって寄稿をしているのか?
話せば長くなるのですが、短く語ると代表の本多輝雄氏が無類の温泉ファンなのであります。
そんな縁で、2人が出会ったのを機に 「ぐんま温泉倶楽部」 を設立。僕が顧問をしております。
この本には、ライフプラン21の会員や関係者など108人のエッセイが掲載されています。
テーマはすべて、「人生の分岐点」。
サラリーマンを辞めて会社を起こした人、結婚を機に資格を取得した人など、人生のターニングポイントに立たされたとき、どんな行動をとったか? また、何が転機のきっかけとなったか? が “108人108色” の文章で描かれています。
昨晩、僕は、酒を片手に108話を一気読みしました。
まさに、人生の選択は人それぞれで、自分とかけ離れた生き方をしている人であればあるほど、興味深く夢中になって読みました。
とりわけ、僕の心に突き刺さった話がありました。
イラストレーターの女性です。
ほとんどの人が 「仕事の分岐点」 をテーマにしているのに対して、彼女だけは 「心の分岐点」 に触れていました。
彼女の両親は、彼女が小学校に入学する前に離婚をしました。
父親が家を出て行き、その後、母親は再婚しました。
もちろん、出て行った父親のゆくえも、存在も知らずに大人になりました。
ところが今から5年前、九州から一通の手紙が届きます。
「あなたの父親が亡くなりました」
父親の再婚相手の女性からでした。
ま、これ以上、あらすじを書いてしまうと本の売り上げに影響しますので、ここまでにしますが、このあと彼女は、この女性に会いに行き、ドラマチックな結末を迎えます。
最後に、こんな一行で文章を締めくくっています。
<私の中にある 「家族」 というマイナスで凝り固まったイメージが、少し明るく溶けていく瞬間でありました。>
まるで、一篇の掌編小説を読んでいるようなストーリー展開と、心の奥底から温かいものが込み上げてくる読後感。
ただただ、感動しました。名文です。
もし、気になったという方がいましたら、本を手にとって、108の分岐点と自分の分岐点を照らし合わせてみてください。
『人生の分岐点』 (本体1,000円+税)
発行元/ライフプラン21
●問合/ライフプラン21事務局
前橋市関根町3-6-2 TEL.027-210-3021