2011年05月06日
言の葉のゆくえ
先日、某編集室へ立ち寄ったときのこと。
「町には、音と匂いがあるんですよね。取材の際には、探すようにしているんですけど、なかなか見つけられないんですよ」
と、編集者の女性から話しかけられました。
「えっ?」
と一瞬、何のことだか訳が分からなかった僕。
「ご自分の本に、書かれているじゃないですか?」
と、机の引き出しから 僕の処女エッセー 『上毛カルテ』(上毛新聞社)を取り出しました。
「書写っていうんですか、小暮さんの文章を写して勉強しているんですけど……。文章って難しいですね」
僕の文章は、書写されるようなものではないけれど、その中でも、琴線に触れる言葉が彼女にあったことが嬉しいじゃありませんか!
“本来、人間は生活の中では「音」と「匂い」を発するものなのだ。同時に、それは人と人が触れ合うために生じる生活雑臭音だといえる。(中略) 人が人と触れ合うことを必要としない「まち」は、もう「町」や「街」とは呼べないだろう” (『上毛カルテ』「いつか見ていた風景」より)
たぶん、このくだりのことを言ったのだろう。
編集者として、町の音と匂いを探しているなんて、きっと彼女は、いい文章を書きますよ。
そういえば以前、飲み会の席で年配(60代後半)の男性から、こんなことを言われたことがありました。
「あなたの本を読んで、感動したなぁ…。“小雨” じゃなくて、“小さい雨”って表現していたでしょう?」
この時は、驚きました。
10年も前に書いた本なのに、なぜか僕も、そのフレーズは覚えていたのです。
シチュエーションが、強烈な場面でしたからね。
それは、女子少年院の潜入ルポでした。
“建物の外へ出ると、小さな雨が降っていた。(中略) わけも分からず熱い思いが目頭へと込み上げてきた。なぜだろう? 自問をしていると、少女たちの姿が次から次へと浮かんできた”(『上毛カルテ』「不透明な世代」より)
「読んでいて“小さな雨”が見えたからね。確かに、小雨じゃなかったよ(笑)」
そう言ってくれたIさんは、ことあるごとに、他人に僕の本をすすめてくれています。
嬉しいですね。
こんなとき、「ああ、物書きになって良かった」と実感するものです。
こんなこともありました。
居酒屋のママが、カウンター越しに突然、
「小暮さんの文章、この間、パクっちゃった。ごめんなさいね。“心象風景”っていう言葉、使いたかったのよ」
と言いました。
なんでも、息子さんの学校のPTA会報に寄稿することになり、僕の本の中から文章を引用したというのです。
“本書が、群馬で暮らす人、群馬を愛する人たちの心象風景に少しでもなりえたならば、著者としてこれ以上の喜びはないだろう”(『上毛カルテ』「あとがき」より)
「いやいや、謝ることなんて、ありませんよ。むしろ光栄です。これからもジャンジャン、パクってください」
と僕は、上機嫌になっていました。
だって、「これ、盗作したお詫びよ」って、生ビールをごちそうになってしまったのですから!
話し言葉は、消えて行きます。
でも、紙に印刷された言葉は、何年、何十年と残るんですね。
1つでも多く、いいモノを書いて残したい。
言の葉のゆくえを追いながら、そう強く思いました。
「町には、音と匂いがあるんですよね。取材の際には、探すようにしているんですけど、なかなか見つけられないんですよ」
と、編集者の女性から話しかけられました。
「えっ?」
と一瞬、何のことだか訳が分からなかった僕。
「ご自分の本に、書かれているじゃないですか?」
と、机の引き出しから 僕の処女エッセー 『上毛カルテ』(上毛新聞社)を取り出しました。
「書写っていうんですか、小暮さんの文章を写して勉強しているんですけど……。文章って難しいですね」
僕の文章は、書写されるようなものではないけれど、その中でも、琴線に触れる言葉が彼女にあったことが嬉しいじゃありませんか!
“本来、人間は生活の中では「音」と「匂い」を発するものなのだ。同時に、それは人と人が触れ合うために生じる生活雑臭音だといえる。(中略) 人が人と触れ合うことを必要としない「まち」は、もう「町」や「街」とは呼べないだろう” (『上毛カルテ』「いつか見ていた風景」より)
たぶん、このくだりのことを言ったのだろう。
編集者として、町の音と匂いを探しているなんて、きっと彼女は、いい文章を書きますよ。
そういえば以前、飲み会の席で年配(60代後半)の男性から、こんなことを言われたことがありました。
「あなたの本を読んで、感動したなぁ…。“小雨” じゃなくて、“小さい雨”って表現していたでしょう?」
この時は、驚きました。
10年も前に書いた本なのに、なぜか僕も、そのフレーズは覚えていたのです。
シチュエーションが、強烈な場面でしたからね。
それは、女子少年院の潜入ルポでした。
“建物の外へ出ると、小さな雨が降っていた。(中略) わけも分からず熱い思いが目頭へと込み上げてきた。なぜだろう? 自問をしていると、少女たちの姿が次から次へと浮かんできた”(『上毛カルテ』「不透明な世代」より)
「読んでいて“小さな雨”が見えたからね。確かに、小雨じゃなかったよ(笑)」
そう言ってくれたIさんは、ことあるごとに、他人に僕の本をすすめてくれています。
嬉しいですね。
こんなとき、「ああ、物書きになって良かった」と実感するものです。
こんなこともありました。
居酒屋のママが、カウンター越しに突然、
「小暮さんの文章、この間、パクっちゃった。ごめんなさいね。“心象風景”っていう言葉、使いたかったのよ」
と言いました。
なんでも、息子さんの学校のPTA会報に寄稿することになり、僕の本の中から文章を引用したというのです。
“本書が、群馬で暮らす人、群馬を愛する人たちの心象風景に少しでもなりえたならば、著者としてこれ以上の喜びはないだろう”(『上毛カルテ』「あとがき」より)
「いやいや、謝ることなんて、ありませんよ。むしろ光栄です。これからもジャンジャン、パクってください」
と僕は、上機嫌になっていました。
だって、「これ、盗作したお詫びよ」って、生ビールをごちそうになってしまったのですから!
話し言葉は、消えて行きます。
でも、紙に印刷された言葉は、何年、何十年と残るんですね。
1つでも多く、いいモノを書いて残したい。
言の葉のゆくえを追いながら、そう強く思いました。
Posted by 小暮 淳 at 18:10│Comments(3)
│著書関連
この記事へのコメント
(^_^;) まだ 全部読んでないですが
同じ空気を吸っている人の 文章は引かれるモノがありますね
同じ空気を吸っている人の 文章は引かれるモノがありますね
Posted by momotaka at 2011年05月07日 14:27
momotakaさんへ
ありがとうございます。
機会があったら、ぜひ 「ヨー!サイゴン」 も読んでみてください。
図書館に、あると思います。
ありがとうございます。
機会があったら、ぜひ 「ヨー!サイゴン」 も読んでみてください。
図書館に、あると思います。
Posted by 小暮 淳
at 2011年05月07日 21:27

(^0^)/ 承知しました
なかなか 図書館に行く機会が少ないのですが
なかなか 図書館に行く機会が少ないのですが
Posted by momotaka at 2011年05月09日 16:22