2019年04月06日
街は眠りたい
<私の勤務する店に、その青年は昼となく夜となく、また朝となく客として現れていた。そして決まって落ち着きのない行動を店内でとった。マガジンコーナーで立ち読みをし、リーチイン(冷蔵ショーケース) を覗き込み、店内をグルグル廻る奇妙な動きを繰り返した。当然、店にしてみれば要注意人物である。>
早いもので、オヤジが亡くなって1ヶ月半が過ぎました。
今日は親戚が集まり、四十九日の法要と納骨を済ませてきました。
法要が終わり、菩提寺から霊園へ。
位牌を手にした僕は、息子の運転する車に乗り込みました。
赤城山麓の道を上ります。
コンビニの向こうにコンビニ、そのまた向かいにコンビニ……
「こんなにもコンビニは、必要ないな」
と僕が言えば、
「幹線道路は別として、こんな山ん中は要らないね」
と息子もうなづく。
「お前でも、そう思うか?」
コンビニ育ちの20代の意見も同様だったのは、ちょっぴり意外でした。
何かと今、話題のコンビニ業界であります。
人手不足と過重労働から、コンビニの骨頂である “24時間営業” が見直されつつあります。
思えば、その昔、昭和の頃は、夕方6時を過ぎれば商店は、すべて店じまいをしていました。
だから消費者は、それに合わせて、買い置きをしたり、朝の開店を待って、並んだりしたものです。
みなさんは、町の中に “24時間営業” のコンビニが現れた日のことを覚えていますか?
冒頭の文章は、約20年前に出版した拙著 『上毛カルテ』(上毛新聞社) の中に収録されている 「街は眠らない」 というエッセイの一節です。
さらに、さかのぼること今から35年前に、群馬県に登場した第1号コンビニエンス・ストアに勤務していた頃のエピソードを書いたものです。
<一ヵ月程度後のこと、彼はいつもとは異なるしかつめらしい面持ちで現れた。店に入るなり、そのままレジに直行。そして私に言った。「あ、あ、あのう……、ぼ、ぼ、ぼくをこの店で使ってください!」 肩で息をしている彼とは対照的に、私の目は点になってしまった。が、彼のアルバイト希望の動機を聞けば、むべなるかな。奇妙な行動の一部始終のつじつまが合った。>
実は、この青年、この年の春に前橋市内の大学に受かり、北陸地方の山村からやって来たばかりだったのです。
アパートも見つかり、母親を連れ立って、初めてこの街に来たとき、僕の勤務するコンビニに親子で立ち寄りました。
<「母ちゃん、今のお店、二十四時間営業って書いてあったよ。凄いねえ」 「バカ言うんじゃないよ。そんなお店あるわけないだろ! 二十四時間っていったら一晩中やっているってことだよ。お店の人はいつ寝るんだい? お前の見間違いだよ。>
彼は、その真偽を確かめるために、昼夜問わず店に現れ、シャーターが閉まるときを見届けようとしていたのでした。
そして、彼は一大決心をします。
「母親に信じてもらうには、その24時間営業の店で働くしかない!」 と。
その後、昭和の非常識は、平成では常識となりました。
でも、また時代は変わります。
迎える令和の世は、人間が人間らしく生きられる時代になるといいですね。
Posted by 小暮 淳 at 19:21│Comments(0)
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