2017年03月18日
誰がために生きる
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
なるほどと思うのですが、なかなか凡人は孔子のようには生きられません。
僕なんか、いまだ立場はおぼつかず、迷いっぱなしだもの、天命なんて知るよしもありません。
でも僕は、昔から自分の人生を孔子風にいましめてきました。
20代は 「体験」、30代は 「蓄積」、40代は「 行動」、50代は 「表現」です。
若いときはハチャメチャなこともしたけど、それは 「体験」 となったし、ガムシャラに働いた時代もあったけど、それは 「蓄積」 されました。
そして、やっと重い腰が上がって飛び回れたのが、40歳を過ぎてからです。
まあ、それなりに言葉どおりの人生を歩んで来たように思います。
が、しかし、今、ハタと立ち止まってしまいました。
60代は何をしよう? どう生きればいいのだろうか?って……
孔子は、なんていっているのでしょうか?(昔の人は、そんなに長生きをしなかったのかしらん)
先日、新聞のコラムを読んでいて、こんな言葉を見つけました。
フリーアナウンサーの八木亜希子さんの言葉です。
<50歳を過ぎたら人のために生きる。自分のことで喜んだり落ち込んだりするのは、若い頃の話。>
ガビ~~~ン!!!!
突然、脳天に雷が落ちたような衝撃を受けました。
だって僕なんて、50歳を過ぎて、しかも還暦間近だというのに、いまだに自分のことで一喜一憂していますもの。
“人のために生きる”
これだよ! 僕の人生に一番欠けているモノは!
10年遅れではありますが、60代の目標は 「貢献」 としました。
えっ? 60歳まで待たずに今すぐしろって?
はい、極力そうします。
Posted by 小暮 淳 at 12:34│Comments(0)
│つれづれ