2018年10月10日
“還活” の成果と誤算
還暦を迎えて、2ヶ月が経ちました。
30歳の誕生日は、仲間とワイワイ騒いでいる間に過ぎました。
40歳の誕生日は、布団の中で脱力感を抱えながら目覚めました。
50歳の誕生日は、温泉宿で冷酒に酔いながら眠りに就きました。
今までの人生で、これほどまでに意識して迎えた誕生日はなかったと思います。
60歳、還暦。
正直に言いましょう、僕は、この日が来るのを恐れていました。
逃げたい気持ちを抑えながら、50代後半を生きていました。
たかが還暦、されど還暦。
たぶん、子供の頃に何かで見た “赤いちゃんちゃんこ” を着たおじいさんの姿が脳裏にこびり付いていたからなんでしょうね。
また、その昔は、「60歳を過ぎた老人は、姥捨て山に捨てられる」 という話を、まことしやかに信じていたのかもしれません。
現在は違うにしても、でも “年寄り” には違いありません。
間違っても、“若者” ではありませんし、“中年” の時期も過ぎました。
厳密に言うならば、まぎれもなく “中高年” の 「高」 の人です。
やはり、還暦を迎えるにあたり心の準備が必要でした。
だから僕は、この2、3年をかけて 「還活」 を行ってきました。
「かんかつ」 とは、還暦活動の略であります。
就活や婚活と同じように、迎えるための準備をすることです。
ただ、就活や婚活のように、目に見える活動はしませんでした。
すべて、メンタル面の強化であります。
① 何事にもあわてず冷静に行動する
② 何事も他人と比べない
③ 老いることを否定しない
④ 老いることを楽しむ
⑤ そして、今までの人生に感謝する
読者の人は、ご存じだと思いますが、毛染めを止めて、白髪にしたのも “還活” の一環であります。
おかげさまで成果があり、Xデー(8月8日の誕生日) は心穏やかに迎えることができました。
また、祝ってくれた人たちからの 「おめでとう」 の言葉にも、素直に 「ありがとう」 と言えたのです。
あれから2ヶ月……
“還活” に、誤算がありました。
それは、闘争心が萎えてしまったことです。
「ふざけるな!」 「なに、クソ!」 「今に見ていろよ!」
何かにつけて、心の中で拳を握り締めるクセが、消えてしまったのです。
「ま、いっか」 「それも、ありだね」 「ありのままの僕を見てください」
といった具合に、心の中に、まったく波風が立たなくなってしまいました。
あれ~?
らしくないぞ。
これで本当に、いいのだろうか?
“還活” のし過ぎだったのでしょうか?
このままでいいのか、どうしたものか、また新たな悩みにさいなまれています。
Posted by 小暮 淳 at 11:48│Comments(2)
│つれづれ
この記事へのコメント
人間て、年齢で変化しますよね~
60歳を区切りにさらにだと想像します
穏やかな師匠様もいいですよ、きっと
ワタシは少しだけ未来のお話ですが
更年期と戦闘中なので、その変化がヒシヒシと感じます
戦闘意欲が消費税並(笑)
60歳を区切りにさらにだと想像します
穏やかな師匠様もいいですよ、きっと
ワタシは少しだけ未来のお話ですが
更年期と戦闘中なので、その変化がヒシヒシと感じます
戦闘意欲が消費税並(笑)
Posted by ぴー at 2018年10月10日 14:34
ぴーさんへ
若い時は、未来を語ることで、自分を大きく見せることができました。
それも、若さの特権だったのですね。
いまはただ、ありのままの自分を等身大で受け入れています。
その上で、“今”できることは何なのか?
“これから”できることは何なのか?
を常に考えながら、生きたいと思っています。
若い時は、未来を語ることで、自分を大きく見せることができました。
それも、若さの特権だったのですね。
いまはただ、ありのままの自分を等身大で受け入れています。
その上で、“今”できることは何なのか?
“これから”できることは何なのか?
を常に考えながら、生きたいと思っています。
Posted by 小暮 淳
at 2018年10月11日 10:43
