2021年01月03日
ニュー・イヤー・シネマ・パラダイス
元日の昼過ぎのこと。
ケータイが鳴りました。
「誰だか、分かりますか?」
表示は電話番号のみ。
アドレス登録のない、初めての電話です。
「申し訳ありません。声だけでは……」
「Sです。BのSです」
「えっ……」
その名を忘れるわけがありません。
ちょうど20年前、平成12(2000)年の夏のことです。
前橋市内にあったBという映画館が秋に閉館されることになり、僕は最後の支配人であるSさんを取材することになりました。
それ以前からSさんとは、付き合いがありました。
まだ駆け出しのタウン誌記者の頃、情報をもらいに月参していたのが縁で、フリーになってからもSさんの人柄に惹かれて、たびたび、お茶を飲みに立ち寄っていました。
そんな、ある日のこと。
「とっても残念だが、会社の方針でね。映画館をたたむことになったんだよ。俺の映画人生も、ここまでだ」
そう告げられたときに、僕は決心しました。
「Sさんの映画にささげた半生を記事にしたい」 と……
閉館後、僕らは半年間、毎月会いました。
喫茶店だったり、レストランだったり、そば屋だったり、時にはSさんの自宅へ伺って、古い資料を見せてもらいました。
子どもの頃に、初めて見た西部劇。
以来、洋画に魅せられて、学生時代は東京の名画座に通った話。
そして、憧れの映画配給会社への就職。
僕は、Sさんの人生というフィルムを巻き戻しながら時系列に記事をまとめ、地元の新聞に連載することができました。
「ジュンちゃん、いや、今はもう、ジュンちゃんなんて呼べないね。大先生だ」
「なんですか、それ?」
「その後の活躍は、新聞やテレビで見ているよ。うれしくってね。だって、俺の記事を書いてくれたジュンちゃんだもの! あっ、先生だ(笑)」
「やめてくださいよ(笑)」
あれから20年の時が流れました。
その後、しばらくは年賀状のやり取りが続いていましたが、いつしか途切れていました。
「急に、ジュンちゃんのことを思い出して、会いたくなってね」
「会いましょうよ!」
「それがダメなんだ。入院することになってね」
「えっ、どこか悪いんですか?」
「ああ、まあ……」
病名は告げませんでしたが、近々精密検査を受け、その結果によっては手術をするのだといいます。
「もう85歳だからさ。先は分からないだろ。だからジュンちゃん、約束してよ。無事、帰ってきたら、また電話するから、会ってよ」
「もちろんです」
といった後、そのまま僕は言葉が詰まってしまい、しばらく何も言えなくなってしまいました。
Sさん、絶対絶対、会いましょうね。
電話を待ってますよ!
そして、また映画の話をしましょう。
20年前の、あの日のように……
Posted by 小暮 淳 at 11:15│Comments(0)
│つれづれ