2024年11月10日
コペル君との再会
<コペル君は中学二年生です。ほんとうの名は本田潤一、コペル君というのはあだ名です。>
そんな 「まえがき」 から始まります。
『君たちははどう生きるか』
令和の現代では、ほとんどの人が宮崎駿監督の同名映画を思い浮かべるでしょうね。
宮崎監督もリスペクトを公言しているので、ご存じの人も多いと思いますが、タイトルの元ネタは昭和12(1937)年に出版された小説です。
吉野源三郎・著 『君たちはどういきるか』 (岩波文庫)
を半世紀ぶりに再読しました。
もちろん映画も観ました。
でもね、原作ではないと分かっていてもタイトルが同一という概念に引きずられてしまい、違和感が先行して僕には理解不能でした。
(当ブログの2023年7月27日 「僕はどう生きてきたか」 参照)
一方、小説の 『君たちはどういきるか』 には、強烈な記憶があります。
僕は、主人公のコペル君と同じ中学生の時に読みました。
ちなみに 「コペル」 というのは、コペル君の叔父さんが、コペルニクスになぞって付けた名前です。
それだけコペル君は好奇心旺盛で、様々な物事に疑問を抱き、それらを自分のなりの推理をして、解き明かそうとします。
その指南役が、叔父さん (コペル君のお母さんの弟) です。
半世紀以上も前に読んだ本なのに、今でもキョーレツに残っているシーンがあります。
それは、叔父さんが話すニュートンの話です。
ご存じニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見しました。
では、どうやって発見したのか?
叔父さんの話が、そそります。
リンゴはニュートンの目の前に、高さ3~4メートルから落ちました。
凡人には 「リンゴが落ちた」 だけに過ぎませんが、ニュートンは、その高さを、どんどん伸ばして行きます。
10メートル、100メートル、200メートル……
やはり、リンゴは落ちます。
ところが何万メートルをさらに超えて、月の高さまで伸ばして行くと……
すると、リンゴは落ちてこないことに気づきました。
「なぜだろう?」
このようにニュートンは推理を重ねていき、万有引力を発見します。
ワクワクした記憶が、よみがえりました。
この歳になって僕は、またコペル君に会いました。
縁とは不思議な物で、あの頃は同学年だったコペル君は、今は50歳も年下になっていました。
そして相変わらず彼は、悩み苦しみ、泣きながらも、叔父さんやお母さん、友だちに支えられながら生きてました。
コペル君、また会えたね!
僕は、ずいぶんと大人になってしまったけど、君の気持が痛いほど分かったよ。
人は歳を重ねても、迷うときは迷うし、苦しいときは苦しいんだよね。
だからコペル君同様に、これからも僕は悩み続けます。
「どう生きるか」 ってね。
名作とは、時代を超えても色あせないものです。
Posted by 小暮 淳 at 12:08│Comments(0)
│読書一昧