2011年04月15日
現場百遍 取材何遍
「現場百遍」って言葉、好きなんですね。
刑事ドラマなんか見ていると、捜査に行き詰っている若手刑事に、初老のベテラン刑事が良く言ってますよね。
「現場百遍だ!行き詰ったら現場にもどれ!」
なーんてね。
実は、取材の現場も同じなんです。
僕は以前、雑誌の編集人を何冊かやったことがあります。
だから、スタッフの子たちには、良く似た言葉を言いました。
「電話取材で済ませるな!」
「直接会って話を聞いて来い!」
「自分が納得するまで何度でも行って来い!」
なーんてね。
とは言っても、締め切りや予算の関係から、じっくりと手間隙かけてなんて雑誌は作っていられないんですけど。
だから制約のある編集業から抜け出して、フリーランスの道を選んだのも理由の1つです。
「現場百遍」ならぬ、取材が納得ゆくまで何遍でも通えるライターになろうと……
広く浅くまとめてしまう雑誌編集に、嫌気が差したのが本音かな。
狭くても深く知ることができる執筆活動に魅力を感じたのです。
だから僕は、同じ温泉、同じ旅館に何度でも足を運び、ご主人や女将さんと何度も会い、何遍でも話を聞く取材スタイルを作りました。
まずは自分が納得しなければ、読者は絶対読んでくれませんもの。
で、今日は伊勢崎市宮子町にある「龍神宮」へ行って来ました。
かつて何度も訪ねて、いくつかの媒体に記事を書いたことのある場所です。
海なし県でありながら「浦島太郎伝説の地」と言われ、龍宮城へ続く入り口が今も存在する神社。
※詳しくは、当ブログのカテゴリー「謎学の旅」⑤「浦島太郎の墓」参照。
最初に訪ねたのは6年前。
当時、僕が編集していた雑誌に記事を書きました。
「龍神宮を守る会」の井上清さんという方を訪ね、江戸時代中期に書かれた「口口相承龍宮本記」なる所蔵書を見せてもらいました。
その書には、天文16年(1547)に浦島太郎のモデルとなった人物が龍宮城へ行って来たことが記されているのです。
そして、そのとき持ち帰った玉手箱が、今でも存在することをつきとめました。
3年後の2008年、今度は新聞の取材で訪れると、井上清さんは1年前に59歳という若さで亡くなっていました。
残念ながらその時は、その後の新しい情報や会の活動の様子は誰にも聞けませんでした。
そして今日、またまたフリーペーパーの依頼を受け、再三の現場取材を敢行してきました。
井上清さんの死去により、実質「龍神宮を守る会」は消滅していましたが、清さんの従兄弟という人から話を聞くことができたのです。
そして新たなる不思議を発見!
龍宮城から持って帰った品は、玉手箱だけではなかったという事実。
乙姫様から、あと2つの品をもらっていたのです。
さて、それは何と何か?
その品のゆくえは?
今も存在するのか?
あっという結末が、平成の現代にも残されていたのです。
つくづく、取材は現場百遍なのだと思いました。
※この結末は、4月29日発行の高崎市のフリーペーパー「ちいきしんぶん」にて掲載されます。
刑事ドラマなんか見ていると、捜査に行き詰っている若手刑事に、初老のベテラン刑事が良く言ってますよね。
「現場百遍だ!行き詰ったら現場にもどれ!」
なーんてね。
実は、取材の現場も同じなんです。
僕は以前、雑誌の編集人を何冊かやったことがあります。
だから、スタッフの子たちには、良く似た言葉を言いました。
「電話取材で済ませるな!」
「直接会って話を聞いて来い!」
「自分が納得するまで何度でも行って来い!」
なーんてね。
とは言っても、締め切りや予算の関係から、じっくりと手間隙かけてなんて雑誌は作っていられないんですけど。
だから制約のある編集業から抜け出して、フリーランスの道を選んだのも理由の1つです。
「現場百遍」ならぬ、取材が納得ゆくまで何遍でも通えるライターになろうと……
広く浅くまとめてしまう雑誌編集に、嫌気が差したのが本音かな。
狭くても深く知ることができる執筆活動に魅力を感じたのです。
だから僕は、同じ温泉、同じ旅館に何度でも足を運び、ご主人や女将さんと何度も会い、何遍でも話を聞く取材スタイルを作りました。
まずは自分が納得しなければ、読者は絶対読んでくれませんもの。
で、今日は伊勢崎市宮子町にある「龍神宮」へ行って来ました。
かつて何度も訪ねて、いくつかの媒体に記事を書いたことのある場所です。
海なし県でありながら「浦島太郎伝説の地」と言われ、龍宮城へ続く入り口が今も存在する神社。
※詳しくは、当ブログのカテゴリー「謎学の旅」⑤「浦島太郎の墓」参照。
最初に訪ねたのは6年前。
当時、僕が編集していた雑誌に記事を書きました。
「龍神宮を守る会」の井上清さんという方を訪ね、江戸時代中期に書かれた「口口相承龍宮本記」なる所蔵書を見せてもらいました。
その書には、天文16年(1547)に浦島太郎のモデルとなった人物が龍宮城へ行って来たことが記されているのです。
そして、そのとき持ち帰った玉手箱が、今でも存在することをつきとめました。
3年後の2008年、今度は新聞の取材で訪れると、井上清さんは1年前に59歳という若さで亡くなっていました。
残念ながらその時は、その後の新しい情報や会の活動の様子は誰にも聞けませんでした。
そして今日、またまたフリーペーパーの依頼を受け、再三の現場取材を敢行してきました。
井上清さんの死去により、実質「龍神宮を守る会」は消滅していましたが、清さんの従兄弟という人から話を聞くことができたのです。
そして新たなる不思議を発見!
龍宮城から持って帰った品は、玉手箱だけではなかったという事実。
乙姫様から、あと2つの品をもらっていたのです。
さて、それは何と何か?
その品のゆくえは?
今も存在するのか?
あっという結末が、平成の現代にも残されていたのです。
つくづく、取材は現場百遍なのだと思いました。
※この結末は、4月29日発行の高崎市のフリーペーパー「ちいきしんぶん」にて掲載されます。
Posted by 小暮 淳 at 21:01│Comments(2)
│取材百景
この記事へのコメント
それが 人気の秘密でして d(^-^)
小暮様は有り難い存在です
それにしても
辰巳館さん この時期に団体客が居て (o≧▽≦)o凄い賑やかで
ビックリ
勝ち組決定
見えない 改善と努力を感じましたよ
m(__)m 辰巳館さん いいお湯でした
小暮様は有り難い存在です
それにしても
辰巳館さん この時期に団体客が居て (o≧▽≦)o凄い賑やかで
ビックリ
勝ち組決定
見えない 改善と努力を感じましたよ
m(__)m 辰巳館さん いいお湯でした
Posted by momotaka at 2011年04月16日 22:10
momotakeさんへ
そーですか、さすが辰巳館です。
今月中に、たっくん(深津社長)に会いますので、momotakaさんが絶賛していたことを伝えておきますよ。
そーですか、さすが辰巳館です。
今月中に、たっくん(深津社長)に会いますので、momotakaさんが絶賛していたことを伝えておきますよ。
Posted by 小暮 淳
at 2011年04月17日 16:33
