2011年06月01日
復讐するは我にあり
「復讐するは我にあり」
ご存知、作家・佐木隆三氏の直木賞受賞作のタイトルです。
当時(1976年)、僕も夢中になって読んだ記憶があります。
その後、映画にもなって、ヒットしましたよね。
いつからでしょうか、気が付いたら、本の内容とはまったく関係なく、このタイトルだけが、僕の 「“裏” 座右の銘」 になっていました。
ま、あまりほめられない波乱万丈な人生だから、挫折と苦悩の連続だったわけです。
でも、なんとか今日まで、生きざまを変えずに人生を歩んでこれたのは、決して“夢”や“希望”だけの力ではありませんでした。
自分を前へ前へと突き押してくれたもの……
それは、ある種の「復讐心」だったように思うんですね。
なにクソ! こんちくしょー! ふざけんじぇねーぞ!
そんな憎悪にも似た、挫折と苦悩の経験は、きっと誰でも1度や2度は、長い人生の中で遭遇しているはずです。
でも、その怒りを直接相手へ向けてしまえば、それは犯罪になってしまいます。
振り上げた拳は、悔しいけれど、無言の斧(おの)に持ち替えて、相手の背中に振りかざすしかありません。
そして、こう叫びます。
「今に見てろ!」
ユーミンの歌でしたっけね、「幸せになることが、あなたへの復讐……(ちょっと違ったかな?)」みたいな歌詞がありましたよね。
そう、復讐する相手は、自分の弱い心と力足らずの未熟さにあるわけです。
遠い遠い学生時代のことです。
休み時間に教室の自分の席で、本を読んでいたときのことです。
ヤンキーのK君が通り過ぎざまに、僕の頭をポーンと軽くたたいて行きました。
「何するんだ!」
と僕が言うと、K君は……
「お前さ、いっつも本ばかり読んでるけど、国語の成績悪いじゃんよ。ムダじゃねーの?」
そう言ったのです。
この時です。
僕が初めて無言の斧を手にしたのは。
「今に見てろ!」
思えば、8年間勤めた会社を辞めた時も、無言の斧を振りかざした記憶があります。
どーしても煮えくり立った腹が治まらず、ついつい家で暴れそうになったことがありました。
「明日、会社へ行ったら、真っ先に社長をぶっ飛ばす!」
酒の力も借りていたのでしょう。
そう、大声を上げて、息巻いていました。
「あんた、バッカじゃないの! そんなことしたら傷害罪で捕まるんだからね。勘弁してよ。私と子どもたちは、どーすんのよ」
と、あきれ顔の妻。
「じゃあ、どーすりゃいいんだよ?」
「さっさと辞表かいて、叩きつけて来なよ!」
と、いうことで、翌日、その通りになりました。
「今に見てろ!」という見えない言葉を添えて。
1年後、社長には、出版したエッセイ本を送りつけてやりました。
ま、悔しがりなんでしょーな。
負けず嫌いなんだと思います。
だから、すぐにケンカをします。
でも臆病だから、手を出す前に、無言の斧を取り出してしまうんですね。
ああ、いい歳をして……
と思うことも多々ありますが、やっぱり、譲れないものは、譲れないのです。
だから
つねに
復讐するは我にあり。
Posted by 小暮 淳 at 17:48│Comments(2)
│つれづれ
この記事へのコメント
ご無沙汰しています。
「かつて、我城門から辺境の地に追われるも
今、匈奴の王として三顧の礼をもって城内に向かえ入れられん」
突き抜けたアウトサイダーとしてしか生きられないようです。
でも、お互い「武器」は手にしたようですね。
がんばりましょう。
「かつて、我城門から辺境の地に追われるも
今、匈奴の王として三顧の礼をもって城内に向かえ入れられん」
突き抜けたアウトサイダーとしてしか生きられないようです。
でも、お互い「武器」は手にしたようですね。
がんばりましょう。
Posted by しばた at 2011年06月02日 09:59
しばたさんへ
どーも、お久しぶりです。
元気でしたか?
このテーマでコメント入れてくるところなんて、しばたさんらしい!
せっかく手に入れた「武器」ですからね、弾がなくなるまで撃ち続けますよ。
いつか何かでタッグを組んで、同一の敵と闘いたいですね。
どーも、お久しぶりです。
元気でしたか?
このテーマでコメント入れてくるところなんて、しばたさんらしい!
せっかく手に入れた「武器」ですからね、弾がなくなるまで撃ち続けますよ。
いつか何かでタッグを組んで、同一の敵と闘いたいですね。
Posted by 小暮 at 2011年06月02日 11:57