2011年11月05日
生まれて初めて会った人
みなさんは、自分が生まれて最初に会った人を知っていますか?
今日、僕は、その人にお別れのあいさつをして来ました。
僕が生まれたのは昭和33(1958)年の8月8日です。
オフクロの話では、朝方に産気づき、オヤジの自転車の荷台に乗って、町内(今も実家のある前橋市K町) の産婦人科医院へ駆け込んだといいます。
生まれたのは、夕方でした。
でも2400グラムという小さな赤ん坊でした。
2500グラム以下は未熟児とのことで、いきなりオフクロと離され、保育器の中で育ったとのことです。
で、このとき、僕をオフクロの胎内から、この世へ引っ張り出してくれた “生命の恩人” が、清宮寛先生であります。
享年、90歳。
最後まで現役のドクターでした。
我が家では、清宮寛先生のことを 「大先生」 と呼んでいます。
当時、町内にあった産婦人科医院は、現在、息子さんの和之先生が内科医院として、後を継いでいます。
僕が月に2回通っている、主治医でもあります。
だから僕の身体は、大先生と和之先生と、親子2代にわたりメンテナンスをしてもらっていることになります。
オフクロは出産だけでなく、その後も大病をしており、大先生には手術により命を救ってもらったという恩義があります。
またオヤジは現在、大先生が生前まで施設長を務めていた介護老人保健施設のデーサービスにお世話になっています。
と、いうこともあり今日は、84歳のオフクロと87歳のオヤジを連れて、大先生をお見送りに行ってきたのであります。
それはそれは、立派な告別式でしたよ。
花輪の数が半端じゃありません。
参列者もそうそうたる方々です。
前橋市医師会、群馬県医師会、医療関係者、政界人・・・
でも、家庭では、やさしいおじいちゃまだったのですね。
入口に飾られた思い出の写真の数々が、幸せだった人生を会葬者へ伝えていました。
僕がこの世に生を受けて、初めて会った人。
その人がいなかくても、別の誰かが僕を取り上げてくれていたのかもしれませんが、でも今とは人生が微妙に違っていたかもしれませんよね。
この人の手が、この世で最初に触れたんだ!
そう思うと、ジーンと込み上げてくるものがありました。
大きな遺影に向かって、
「ありがとうございました」
と、53年分の感謝をこめて、お礼を言ってきました。
ご冥福をお祈りいたします。
Posted by 小暮 淳 at 20:37│Comments(4)
│つれづれ
この記事へのコメント
誕生のおり、2500gで誕生した日より、野放し育ちです。
100gの差でけっこう変わるものですね。
本日は嫁ぎ先の恩義のある方(私、面識なし)の通夜に私が代表で行きます。
主人は???あえて詮索してませんが…
恩義のある方
面識のまったくない方
人生は様々な方をお見送りする機会にあうものですね。
100gの差でけっこう変わるものですね。
本日は嫁ぎ先の恩義のある方(私、面識なし)の通夜に私が代表で行きます。
主人は???あえて詮索してませんが…
恩義のある方
面識のまったくない方
人生は様々な方をお見送りする機会にあうものですね。
Posted by ぴー at 2011年11月06日 11:27
ぴーさんへ
ご苦労さまでした。
「嫁ぎ先」という言葉と、「私が代表」という言葉に、ぴーさんのいる環境や立場が、おぼろげながら浮かび上がります。
ご苦労さまでした。
「嫁ぎ先」という言葉と、「私が代表」という言葉に、ぴーさんのいる環境や立場が、おぼろげながら浮かび上がります。
Posted by 小暮 at 2011年11月06日 20:58
突然失礼します。
僕の先祖は群馬県と聞いていて、暇に飽かせて、前橋 小暮で検索したら ヒットしました。
少なくはないけれど、そんなに多くはない・・・微妙な名字ですが
僕が北海道に住み始めた40年近く前、札幌市の電話帳には数件しか
ありませんでした。北海道では珍しい名字かも知れません。
まあそれだけの話なのですが、時折ブログ読ませて頂きます。
年齢は6歳ほど僕の方が多いようです。
僕の先祖は群馬県と聞いていて、暇に飽かせて、前橋 小暮で検索したら ヒットしました。
少なくはないけれど、そんなに多くはない・・・微妙な名字ですが
僕が北海道に住み始めた40年近く前、札幌市の電話帳には数件しか
ありませんでした。北海道では珍しい名字かも知れません。
まあそれだけの話なのですが、時折ブログ読ませて頂きます。
年齢は6歳ほど僕の方が多いようです。
Posted by 小暮 茂 at 2011年11月08日 10:57
小暮茂さんへ
ありがとうございます。
群馬には、コグレという姓は、「小暮」 のほかに 「木暮」「古暮」 とありますが、どうも、すべてルーツは同じようです。
そもそもは大陸の 「高句麗」 から来た人たちが「コークリ」→「コグリ」→「コグレ」と変化したようです。
(大暮と中暮がいないので、意味からではなく、音から付いた名字とのこと)
前橋市内には、「小暮」 という地名も残っています。
茂さんの先祖は、群馬のどこから、いつごろ北海道へ渡ったのでしょうね?
ぜひ、ルーツをたどってみてください。
茂さんと僕は、遠い親戚かもしれませんね。
ありがとうございます。
群馬には、コグレという姓は、「小暮」 のほかに 「木暮」「古暮」 とありますが、どうも、すべてルーツは同じようです。
そもそもは大陸の 「高句麗」 から来た人たちが「コークリ」→「コグリ」→「コグレ」と変化したようです。
(大暮と中暮がいないので、意味からではなく、音から付いた名字とのこと)
前橋市内には、「小暮」 という地名も残っています。
茂さんの先祖は、群馬のどこから、いつごろ北海道へ渡ったのでしょうね?
ぜひ、ルーツをたどってみてください。
茂さんと僕は、遠い親戚かもしれませんね。
Posted by 小暮 淳
at 2011年11月08日 19:17
