2013年04月06日
山が私を呼んでいる
<つづら折りの急勾配の道を登り切ると、しばらくなだらかな下りが続く。ここは榛名山の中腹。広大な自然に囲まれて、農家を改造した丸尾さんの自宅兼アトリエが建っている。>
これは、1993年10月に発行された 『月刊 上州っ子』 の 「HUMAN SQUARE」 という記事の冒頭です。
記事を書いたのは、僕。当時35歳。
取材を受けたのは、彫刻家の丸尾康弘さん。当時37歳。
あれから、20年の年月が流れました。
丸尾さんは、熊本県生まれ。
東京造形大学卒業後は、創作活動を続けながら、都内で喫茶店のマスターや土木作業員などの職を転々としていました。
<群馬の友人から仕事を手伝ってくれないかと言われたのがきっかけで、群馬へ。仕事の方は半年で辞めてしまったのですが、環境が気に入って、そのまま榛名町(現・高崎市) に居付いてしまいました。>
当時、丸尾さんは週に1回、美術講師として前橋へ出る以外は、毎日、畑へ出かけて無農薬野菜を作っていました。
京都出身の奥様と保育園に通う娘さん、1歳になる息子さんの4人暮らし。
僕と丸尾さんは、同世代であり、家族構成も同じ。
娘と息子の年齢も同じでした。
ただ違うのは、“生き方”だった。
この 「HUMAN SQUARE」 という連載は、僕が 『月刊 上州っ子』 に入社したときから続いている人気のインタビュー記事です。
主に群馬県内で活動するアーティストたちを、毎月1人ずつ紹介していました。
なぜ、アーティストなのか?
それは、僕の “あこがれの生き方” だったからです。
どうして、あんなにも不安定な生活の中で、ぶれない心を維持しながら目標に向かって、作品を作り続けられるのだろうか?
それが知りたくて、ただ、ひたすらに芸術家たちを追い続けていました。
インタビューの中で、丸尾さんは生き方について、こんなふうに答えています。
<自分は不器用な方だから、いま出来ることを精一杯やって生きるしかない。出来ないことを無理してやると、結局は生活の中で悪循環を起こしてしまうんです。ぼくにとって彫刻や畑は、決して裏切らないもの。だから苦しくてもやれる。要は何を犠牲にするかです。最低限の生活ができれば、あとは自分の時間のために生きたい。子供と畑と彫刻、これが今のぼくの精一杯できることなんです。>
当時、僕はサラリーマンでした。
この時の丸尾さんの言葉が、少なからずや、その後の僕の人生を変えて行きました。
「覚えていますか? 20年前に榛名のアトリエに取材へ行った日のことを」
「もちろん、覚えていますよ」
「あの時、僕が撮った写真には1歳の息子さんが写っていた」
「そうでしたね。早いもので、大学生です」
「うちもです」
「長女は結婚して、孫もできた」
「うちも同じです」
今日、僕は、また丸尾さんに会いに個展会場へ行ってきました。
ギャラリーの中央には、デ~~ンと大きな男性の彫刻が鎮座していました。
タイトルは、「山の様に(巨人)」。
「大震災以降、山をテーマにした作品を作りたくなった・・・」
と丸尾さん。
山の持つ磐石(ばんじゃく) のイメージ。
その反面、自然の持つ脅威への不安。
山(自然) に対する畏敬や憧憬と恐怖を、丸尾さんは巨人たちに彫り込みます。
<群馬に住んでもう28年になるが、心の奥底で私を支えてくれていたのは山の様に思える。
ここ数年山をテーマにした作品を作ることが増えてきた。今までになく大きな作品を作りたくなったのもそのテーマからの自然の成り行きの様に思える。
少しずつ少しずつ山が私を呼んでいる。>
(丸尾康弘 「山の様に」 パンフレットより)
『山の様に』 丸尾康弘展
●会期 2013年4月6日(土)~14日(日)
午前10時~午後5時
●会場 ノイエス朝日
前橋市元総社町64 TEL.027-255-3434
Posted by 小暮 淳 at 20:48│Comments(0)
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