2013年08月01日
我は神の子④「天道念仏」
チリチリチリチリ・・・・・
目覚まし時計のベルの音は聞こえるけれど、目が開かない。
起きなくっちゃ、起きなくっちゃ、と脳が体に命令するけど、なかなか反応しません。
だって、寝てから、まだ2時間しか経っていないのですから。
午前4時。
あたりは、まだ暗い。
やっとの思いでベッドから這い出して、顔を洗って、公民館へ。
今日は、今年2度目の 「天道念仏」 の日です。
「天道念仏」 とは、五穀豊穣を願う農民たちが、作物に恵みをもたらす天道様(太陽) に感謝する祭りです。
※(天道念仏については、当ブログの2013年2月1日「我は神の子なり」参照)
ドワ~~~ン! ドワ~~~ン!
まだ薄暗い住宅地に、銅鑼(どら) の音が響き渡ります。
日の出から日没まで、太陽が出ている間は、「ありがとうございます」 の感謝を込めて叩き続けます。
今日は、あいにくの小雨模様。
それでも、選ばれし11人の神の子たち(年番) は、交互に銅鑼を叩きます。
「こんな朝早くから銅鑼なんて叩いて、大丈夫なんですか? 近所迷惑になりませんか?」
と、30代最年少のN君。
「昔は、もっとデカイ銅鑼だったんだぞ。それからみりゃ、だいぶ音は小さくなった。町民は、誰も迷惑だなんて思ってやしないさ。みんな、今日が天道念仏の日だって知っているもの」
と長老が答える。
でも実際問題、迷惑ですよ。
だって今は、ほとんどの家が勤め人ですからね。
農家のほうが、少ないんですから。
なのに、祭りだけが残っているんです。
この後、僕らは墨で刷ったお札(ふだ) を作り、町内の家を1軒1軒回ってお札を配ります。
“奉 勤 行 天 道 大 念 佛”
お札には、そう刷られています。
「では、お札を持って、今日はこれで解散します」
と年番長。
「えっ? いいんですか?」
と驚いたのは、何を隠そう僕だったのです。
確か、僕がこの町に越してきた当初は、これから日没まで延々と酒を飲みながら銅鑼を叩いた記憶があったからです。
「ま、それが本来の祭りなんだけどな。この何十年かの間に、簡略化が進んだのよ。これも時代の波っていうやつよ」
と、長老が淋しそうに答えてくれました。
残念!無念!
飲む気満々でやって来た僕としては、少々肩透かしであります。
が、最近この町に越してきたばかりの若手たちは、ホッとした表情を見せていました。
でも、長老の言うとおりかもしれませんね。
祭りの形は残したいけど、すべてを忠実に継承するには無理があります。
現代人が継承しやすいように形を変えてでも、伝承し続けることが、一番求められていることです。
温故知新
それでも絶やすことなく、先人たちの心を受け継ぎ、そして次世代へと伝えていくことが僕ら年番の務めなのであります。
我は神の子なり。
Posted by 小暮 淳 at 23:13│Comments(0)
│つれづれ