2013年10月02日
北軽井沢温泉 「御宿 地蔵川」③
「いつも新聞のコラム、読んでいます。この間は、いい温泉の選び方でしたね。ためになりました」
開口一番、出迎えてくれた3代目主人の土屋基樹さんに言われました。
昨日、1年ぶりに北軽井沢温泉の一軒宿 「御宿(おやど) 地蔵川」 を訪ねてきました。
温泉旅館では、朝日新聞を購読している宿が多いのでしょうか?
よく、声をかけられます。
なかには、記事が掲載されると、すぐにメールで感想を送ってくださるご主人もいます。
前回、北軽井沢温泉を訪ねたのは昨年9月で、新聞記事の取材でした。
その前は、僕が講師を務める野外温泉講座で、受講生らと一緒に入浴して、食事をしながら酒を酌み交わしました。
今回は・・・
ええ、取材は取材なんですけどね。
・・・まだ、内緒です。
いずれ、形になり出したら、ご報告いたします。
最初に訪ねたのは、かれこれ8年以上も前になります。
その時、応対してくださったのは先代主人の土屋勝英さんで、屋号もまだ 「地蔵川ホテル」 でした。
昭和37(1962)年まで走っていた旧草軽電気鉄道のこと。
昭和26(1951)年に封切られた映画 『カルメン故郷に帰る』 の舞台に北軽井沢がなった話や木下恵介監督率いるスタッフが宿に泊まったエピソードなど。
それはそれは楽しい、宿の歴史話を聞いたのであります。
※(詳しくは、当ブログ2012年7月25日「北軽井沢温泉 御宿 地蔵川」参照)
で、今回は、その後、宿を継いだ若き3代目の基樹さんに、経緯や志しなどをじっくりとお聞きしました。
話を聞いていて、僕は何度も胸がジーンとしてしまいました。
一度は東京へ出て、大学で文学の道に進みながらも、家族の事情により余儀なく旅館を継ぐことになったとき、彼はそれまでの道をあきらめて、料理学校へと進路変更をします。
そして、京都の料亭に和食の修業へ。
まさに、それは、湯を守り継ぐための修業だといえます。
湯守(ゆもり) になるため。
そして、昭和17年から続く老舗旅館の歴史を絶やさないためです。
いや~、感動した!
こうやって、脈々と湯と宿の歴史がつむがれていくんですね。
奥様で女将の幸恵さんが、小さなお子さんをダッコして現れました。
だから僕は、声をかけましたよ。
「この子が、4代目ですね」
って。
“湯に歴史あり 宿に物語あり”
Posted by 小暮 淳 at 22:27│Comments(0)
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