2014年05月17日
塾ギライ
中学生の次女が、学校から帰ってきてからもズーーッとテレビを観ていたので、
「あれ、勉強しなくてもいいのか?」
と声をかけると、
「テスト、今日で終わったし」
と、背中で返事をしました。
来年は受験だというのに、父親ゆずりのノンキ者であります。
テスト前しか勉強をしないというのも、僕によく似ています。
「塾へ行っている子は多いのか?」
「うん、ほとんど」
「じゃあ、お前も行くか?」
と、心にもないことを言う僕。案の定、
「え~~、いい。眠くなるから」
との答えが返ってきました。
「眠くなるからか?」
「うん、勉強すると眠くなるもの」
さすが!僕の娘です。
僕も同じでした。
実は、うちの子は3人とも、塾へ行きませんでした。
親として 「行け」 と言った事もないし、「勉強しろ」 とも言った記憶がありません。
とにかく “本人の自由” に任せました。
結果、それが正しかったか、間違っていたかは、僕には分かりません。
また、今のところ長女からも長男からも、この育て方に対しての不平不満は聞いていません。
では、なぜ、そんな育て方になってしまったのか?
それは、僕が “塾の子” として生まれ育ったからに他なりません。
※(詳しくは、当ブログの2014年2月1日「サラリーマンにあこがれて」を参照)
「塾の子」=「勉強ができる」
というプレッシャーと闘い続けてきた子供時代でしたからね。
反面教師っていうヤツです。
だから、大人になっても 「塾」 や 「勉強」 が大嫌いなんです。
だもの、口が裂けても自分の子供たちに、「勉強しろ!」「塾へ行け!」 なんて言えません。
「お前さ、○○高校を志望しているんだって?」
「えっ、なんで知ってるの?」
「この間、先生が家庭訪問のときに言ってたよ」
「無理だって言ってたでしょ!」
「そんなことは言ってないけど、今後の頑張り次第だとは言っていたな」
「いいよ、無理して行かなくても」
おいおい、それは本人が言うセリフじゃないだろう!
「行けるところへ、行くから。て、いうか、バイトのできる高校じゃないとダメでしょ?」
「なんだ、そのバイトのできる高校って?」
「だって、うちって貧乏じゃん。オネエもオニイも、バイトして自分で携帯料金、払ってたもの」
とは、その通り。お見それしました。
もう、何も言えませんって。
子は親の背中を見て、育つのであります。
いや、次女の場合、姉と兄の背中を見ていたのですね。
すまないね。甲斐性のない父親でさ(許せ!)
Posted by 小暮 淳 at 22:18│Comments(0)
│つれづれ