2016年09月01日
僕も “コンビニ人間” だった。
遅ればせながら芥川賞受賞作の 『コンビニ人間』 を読みました。
あ~、面白かった!
この面白さって、一般の人にも伝わるのでしょうか?
きっと分るんでしょうね。
伝わるから10万部を超えるベストセラーになっているんですよね。
どうして、そんなことを言うのかというと、実は僕も “コンビニ人間” だったからです。
東京から帰って来た25歳からタウン誌の編集者になるまでの4年間、コンビニでアルバイトをしていた経験があります。
今から30年以上も昔のことです。
もちろん当時は、「コンビニ」 なんている略語はありませんでした。
そのまま誰もが 「コンビニエンスストア」 と呼んでいました。
※(表記をする際には、「CVS」 と略していた)
群馬県にコンビニが始めて登場したのは昭和54年ですから、その4年後から僕はバイトを始めたことになります。
※(日本で最初にコンビニが誕生したのは昭和48年でから、本県への出店はだいぶ遅かったようです)
当時、まだセブンイレブンなどの有名コンビニはなく、僕が勤務した店は 「サンチェーン」 といいました。
※(ダイエー系のコンビニで、のちにローソンと名前を変えました)
もちろんレジは、現在のようなバーコードを読み取るボスレジではなく、一つ一つが手打ちです。
ですから値札シールが付いていないと、パニックになりました。
宅配便の受付や公共料金の支払いのような物販以外のサービス業務もありません。
商品のアイテム(種類) も、現在の品揃えからは考えられないほどに簡素なものでした。
何よりも、“24時間営業” が珍しかった時代ですからね。
「この店、シャッターがないけど、いつ閉めるの?」
なんていう客は、ざらにいましたよ。
一晩中やって来て、「本当に夜中も開いているんですね!」 と納得して帰る客が何人もいましたもの。
僕は36歳の時にタウン誌を辞めて、フリーのライターになりましたが、最初の年は仕事がなくて食っていけませんでした。
そんな時、また手を染めたしまったのが、コンビニでした。
ライターとして食えるまでの1年間は、コンビニ店員だったのです。
計5年間、“コンビニ人間” をやっていたことになります。
作者の田村沙耶香さんは、ちょうど僕が2度目のコンビニ人間をしていた時の年齢です。
小説の中の主人公も、同じ歳です。
文中には、「結婚もせず、就職もせず、バイト暮らし」 であることを世間から否定される描写が繰り返し出てきます。
人間失格?
でも、これが私の唯一の社会との接点。
その葛藤は、当時の僕も同じでした。
結婚はしていたけど、就職は柄じゃない。
「今に見ていろよ!」 と、心の中では拳を振り上げているけど、現実は空回り。
あの頃の自分を思い出して、胸の奥のほうが、なんだかくすぐったくなりました。
主人公が知らないコンビニに客として入って、ついつい商品の陳列を直してしまうシーンがあります。
これって、“コンビニ人間” の悲しい性なんですよね。
さすがに今はやらなくなりましたが、当時の僕は、他のコンビニに行くと同じことをしていましたもの。
前陳(ぜんちん) です。
※(陳列棚の奥の商品を引き出して、売れて空いたスペースを埋める作業)
日本中に、こんなにもコンビニがあるのだから、さぞかしコンビニ人間がたくさんいるんでしょうね。
いろんな人間がいて、いいんじゃないかな!
否定するのは簡単だけど、肯定して生きるのも、また人生だもの……。
Posted by 小暮 淳 at 18:41│Comments(0)
│つれづれ