2017年06月01日
育児も介護もクソのうち
先週末の夜のこと。
ちょうど僕がオヤジの手を引いて、トイレへ連れて行こうとしているときでした。
ぷらりと、息子が訪ねて来ました。
「お父さん、無理しないでよね。うちのやつも心配していた」
「何をさ?」
「おじいちゃんのことだよ」
「無理なんてしているもんか。育児も介護もクソのうちだ」
「なに、それ?」
最近僕は介護について訊かれると、親しい人には、そう答えています。
あまり良い表現ではありませんが、子育ても年寄りの面倒を看ることも、食べたり排せつをすることと同じだということです。
当たり前のことで、取り立てて感心するような特別なことではないということです。
ただ、そう思うようになったのには、僕の人生観と関係があるかもしれません。
僕は30代半ばで、この世界(フリーランス) で働くようになりました。
仕事も収入も不定で、ともすれば “毎日が日曜日” のときもあります。
必然、育児は僕の担当となりました。
3人の子どもたちは、僕がミルクを作り、オシメを換え、風呂に入れて、保育所に連れて行きました。
まだ 「イクメン」 なんていう言葉などない時代のことです。
でも、なんの抵抗もなく育児に参加することはできました。
では介護は?
と記憶をたどると、確かに身近にありました。
オヤジは僕と同じ次男でしたが、晩年の祖父を引き取って暮らしていたのです。
「じいちゃん、きったねぇ~な~!」
小便を垂れ流してしまう祖父を笑う僕に対して、オヤジは、
「おじいちゃんは病気なんだから仕方がないんだよ」
と言って、イヤな顔一つせず、畳を拭いて、祖父の着替えをしていました。
きっと子どもの頃に見た、そんな光景が脳裏の片隅にこびり付いているのだと思います。
人間誰でも年老いたら、体が言うことをきかなくなる。
それは自然なことで、誰もが通る道なんだと……。
でも、ちょっぴり嬉しかったのであります。
息子が、気にかけてくれていたことが。
そして息子のお嫁さんまでも、僕のことを心配してくれていたことが。
「オレは将来、お前たちに迷惑かけないようにするからな」
なんの根拠もありませんが、せめてもの希望的憶測であります。
そしたら息子が、ひと言、こんな言葉を返してくれました。
「別にいいよ」
ちょっぴり心の奥が、温かくなった夜でした。
Posted by 小暮 淳 at 14:47│Comments(0)
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