2021年04月05日
カエルの子はイモリかヤモリ
「その後、どう?」
「何が?」
「何がって、仕事だよ」
「ああ……」
「ああ、って?」
「ぼちぼち、かな」
「戻って来てるの?」
「少しはね」
先日、両親の三回忌法要がありまして、久しぶりに息子と顔を合わせました。
これは、その時の親子の会話です。
どっちが、どっちなのか?
はい、質問しているのが息子で、曖昧に答えているのが僕です。
昔から我が家は、そういう親子関係なのであります。
息子は高校、大学、就職と、迷い、つまずくことなく、スムーズに人生の駒を進めて生きています。
すでに結婚もして所帯を持ち、子どもも産まれ、家も建てました。
引きかえ僕は30歳まで無職で、結婚を機に勤めに出たものの、彼が生まれてすぐに会社を辞めてしまい、その後はフリーランスで文筆業を続けながら、家事と育児が副業という世間からは、かなりズレた生き方を続けてきました。
だから3人の子どもたち (特に長男) は、そんな好き勝手に生き、いつも不安定な生活をしている父親を反面教師として、すくすくと育ちました。
「大丈夫なの?」
「何が?」
「仕事が減っちゃって」
「なんとかなるんじゃないの」
「なんとかなるって、まるで他人ごとだな」
「今までだってなんとかなったんだから、これからもなんとかなるの!」
まあ、親子げんかとまではいきませんが、優等生な息子にイラつきを隠せません。
<オレに育てられて、よく、こんな子に育ったな>
と不思議です。
トンビがタカの子を産んだとは言いませんが、カエルの子ではなさそうです。
オオサンショウウオほど立派ではないので、まあ、イモリかヤモリといったところでしょうか……
ただ、無駄のない人生は、車の運転でいえば、遊び部分のないハンドルのようなものです。
親としては、ちょっぴり心配なのであります。
ま、そんなことを言えば、「心配なのは、お父さんのほうだよ」 と、ピシャリと言い返されてしまいそうですが。
コロナ禍は、親子関係も悲喜こもごもであります。
Posted by 小暮 淳 at 11:53│Comments(0)
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