2021年06月07日
通り道
先日、さる放送作家の方とお会いした時のことです。
雑談を交わしていて、あるテーマで大いに盛り上がってしまいました。
そのテーマとは、「通り道」。
「行きと帰りは、急ぐ用事でもない限り、必ず違う道を通ることにしています」
と僕が言うと、作家も、
「私もです。同じ道で帰る自分が許せません(笑)」
と意気投合!
その後、延々と “いかに違う道を通ることが生きて行く上で大切なことか” について語り合ったのであります。
もしかしたら、これって職業病ですかね?
いつも、何か新しい事を探している “物書き” ゆえの性(さが)なのかもしれません。
「昨日と違う今日、今日と違う明日を生きるために、今日を生きるのだ!」
なーんてね、若い頃、マンネリ化した日常を戒めたものです。
作家が言うように、同じ毎日を過ごしている自分が “許せない” のです。
これって、“若さの特権” なのかも?
と思った時期もありました。
でも、ある時、歳を重ねても変われない自分がいたのです。
だからフリーランスの人生(みち)を選んだのかもしれません。
タイムカードはいらない、スケジュールは自分で決められる、イヤだったら断れる……
ひいては、“通り道” だって、自由に選びたいのです。
時はめぐり、世はコロナ禍におびえる 「令和の大飢饉」。
ともすれば自粛、自粛で、巣ごもりを強いられ、“昨日と同じ今日” を過ごしがちです。
まして我々のような不要不急の職業は、なかなかアクションを起こしずらい日常の中にいます。
だからこそ、あえて、“違う道” を通ることに執着するのかもしれません。
「散歩をしますか?」
「もちろん、日課ですよ」
「行きと帰りは、違う道で?」
「当然です」
何も起こらない日常で、無理矢理でも “何か” を探そうとしているんですね。
やはり、これも “物書き” という共通の職業を選んだ、悲しい性なのかもしれません。
Posted by 小暮 淳 at 13:08│Comments(0)
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