2021年11月01日
貸本屋のオババに愛をこめて
先週、漫画家の白土三平さんが亡くなられました。
白土さんといえば、昭和の戦後世代にとっては、子どもの頃に貸本漫画で活躍した漫画家です。
「カムイ伝」 や 「忍者武芸帳」 などは、まさに貸本文化を支えたヒット作でした。
※(当時を語る場合は 「マンガ」 ではなく 「漫画」 なんですね)
昭和30~40年代に少年期を過ごした僕ら世代にとって貸本屋は、駄菓子屋と並ぶ “二大娯楽の聖地” でした。
僕が生まれ育った旧街地には、たくさんの貸本屋があり、子どもが歩いて行ける町内だけでも2軒の貸本屋がありました。
書籍は図書館でも借りられましたが、漫画は置いてありません。
当時の漫画本 (単行本) は価格も高くて、子どものお小遣いでは買えませんから貸本屋は、ありがたい存在でした。
確か、1冊1日=10円だったと記憶しています。
放課後に友だちと一緒に10円玉を握りしめて、一目散に貸本屋へ走ったものです。
でも、ほとんどの子どもが1日10円の日払い制のお小遣いでしたから、1日1冊しか借りられません。
そのため、迷い迷い、なかなか借りる本を選べずにいると、
「何時間いるんだい! 決まらないんなら他の客の迷惑だから、さっさと帰んな!」
と、オババの怒声が飛んできます。
「やべ~、どうする?」
「あっちに行く?」
“あっち” というのは、町内のもう1軒の貸本屋です。
店主は男の人で、物静かで、子どもたちにも優しいのですが、どちらかというと大人向けの書籍が中心で、漫画本が少ないのです。
だから僕らは、いつも恐怖心を抱きながらも漫画本の多いオババの店に通っていたのです。
「ああ……、はい、すぐ決めます」
「僕は、これにします」
と毎度、あわてて10円玉を添えて、選びに選んだ1冊の漫画本をオババに手渡すのでした。
当時の子どもたちに一番人気だったのは、手塚治虫や水木しげるの作品。
僕はギャグ漫画が好きだったので、赤塚不二夫の 「ヒッピーちゃん」 がお気に入りでした。
それと、ホラー漫画もよく借りてました。
楳図かずおや日野日出志なんて、借りたのはいいものの夜には読めず、翌日の朝早く起きてから読んだものです。
あれから半世紀……。
ときどき自転車で貸本屋があった場所を通ることがあります。
おじさんの店があった場所は、一般の住宅になっています。
オババの店の跡地には、マンションが建っています。
いまはスマホで漫画が読める便利な時代です。
でも僕は、昭和という時代を振り返るたびに、いつも、こう思います。
「“不便” より “便利” のほうが良いに決まっているけど、不便だった世の中の方が、人が手をかけ工夫しながら生きていたな」 と。
半世紀後の世の中は、どんなふうに変わっているのでしょうか?
想像もつかない世の中なんでしょうね。
Posted by 小暮 淳 at 12:11│Comments(0)
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