2022年04月14日
先生と呼ばないで
毎週、日曜日の朝が楽しみです。
それは新聞の日曜版を読めるから。
特に毎日新聞の 「日曜くらぶ」 はエッセーやコラムが充実していて、日曜日の朝にコーヒーを飲みながら一つずつ、ゆっくりと読んでいると、とても幸せな気分になります。
タレントの松尾貴史さんのコラム、作家の山田詠美さんのエッセーは、欠かさずに読んでいます。
そして、もう一人、短いコラムですが、毎回異なる視点で日常を軽く切ってくださるのが、心療内科医の海原純子さん。
『新・心のサプリ』 を読むのも楽しみの一つです。
「へ~」 とか 「ああ」 とか感心しながら読んでいます。
今週のテーマは 「どう呼ばれるか」。
<私は診療や講演以外で 「先生」 と呼ばれるのが嫌いで相手は敬称のつもりでそう呼ぶのかもしれないが、特にライブ会場でそう声をかけられると当惑してしまう。そう呼ばれると気分は 「医者」 のほうに追いやられるからだ。>
海原さんは、ミュージシャンでもあるんですね。
いくつもの顔があるため、“呼ばれ方” によって自分の意識が影響されてしまうようです。
また、こんな風にも言っています。
<どう呼ばれるかは、レッテルの一種かもしれない。「先生」、と呼ばれれば先生のレッテルが貼られた気分になる。「おばさん」 「おばあちゃん」 と呼ばれればそのレッテルが貼られることになるから、怖い。>
僕も時々、「先生」 と呼ばれる時があります。
医者でも政治家でもないのにね。
まあ、講演やセミナーなどに呼ばれると、一応、肩書は “講師” のわけですから、まわりの人は気をつかって 「先生」 と呼んでくださるわけです。
最初は、ガラじゃないので、「先生」 と呼ばれるたびに何だかくすぐったかったのですが、馴れとは恐ろしいもので、かれこれ10年以上行っていると、ふつうに 「ハイ」 と応えられるようになりました。
先日、「弟子の会」 という会合がありました。
これは、僕のことを勝手に 「先生」 とか 「師匠」 と呼ぶ温泉好きの集まりです。
7年ほど前から隔月で、年6回開催しています。
開催といっても、居酒屋に集まって酒を呑むだけなのですが……
この場合、「先生」 と呼ばれることに特に違和感は覚えません。
そもそも自称 “弟子たち” は、僕のセミナーや講座の受講生や熱心な読者だからです。
出会った時からすでに 「先生」 と呼ばれていました。
問題は、以外の人たちです。
まわりが 「先生」 と呼んでいるので、便乗して 「先生」 と呼ぶ人たちがいます。
この場合、一瞬にして僕の体の中を違和感が走ります。
「オレ、この人の先生じゃないし」
でも仕方ないですよね。
“レッテル” なんですから。
勝手に貼られてしまうこともあるわけです。
ある日のこと。
いつもの居酒屋のカウンター席で、常連客らと和気あいあいと酒を酌み交わしていた時でした。
カウンターの隅にいた若い女性客が、僕のことを 「先生」 と呼びました。
「オレはキミの先生じゃないんだけどなぁ~」
と思っていたら、すかさず助け舟を出してくれた客がいました。
「先生なんて呼ばなくていいの! この人は 『ジュンさん』。だよね、ジュンさん!」
ナイス・フォロー!
ここは呑み屋なんだもの。
堅苦しい呼び方は止めにして、楽しく呑みましょうよ。
海原さんはコラムの最後を、こう締めくくっています。
<妻をどう呼ぶか、夫をどう呼ぶか子どもをどう呼ぶか、なども考えるとさまざまな心理が浮かび上がる。意識することなくその人を呼んでいる呼び方や何気なく応じているその呼ばれ方が意識に影響しいてることがある。自分がその時そうありたいと思う呼ばれ方をするのが一番しっくりした気分になれるのだろう。>
みなさんの呼ばれ方は、どうですか?
呼ばれたい呼ばれ方で呼ばれていますか?
Posted by 小暮 淳 at 12:06│Comments(0)
│つれづれ