2023年05月04日
東京再会物語② マロドリンクはなかったけれど
わが青春の街、中野。
その中野のシンボル 「中野サンプラザ」 が今年7月に閉館し、その後、取り壊されてしまうというニュースを聞いて、居ても立ってもいられませんでした。
「最後に一度、その姿を目に焼き付けておきたい」
との思いから、行ってきました。
東京・中野は、今から45年前に暮らしていた街。
全国から集まった仲間たちと、夢を見て、夢を語り、呑んで騒いだ思い出の場所であります。
当時、僕は20歳。
中野サンプラザのすぐ裏側、道路を隔てたビルが母校です。
“自由音楽学園”
僕は、基礎科に通っていました。
あの頃、授業がはけると、クラスメートと必ず通っていた喫茶店がありました。
「まだ、あるのだろうか? 中野まで行くなら立ち寄ってみたい」
とネット検索すると……
あった!
驚きました。
45年経った今でも健在で、しかも外観もまったく変わっていません。
先日、高鳴る思いで、喫茶 「マロ」 の扉を開けました。
店内のレイアウトは、なんとなく思い出のイメージとは異なっていましたが、雰囲気はあの頃のままです。
メニューも、昭和の喫茶店そのままでした。
コーヒーと紅茶とナポリタンスパゲティー……
カウンターの中には、高齢の男女がいます。
「マスターとママさんだ」
そう思ったら、声をかけずにはいられません。
「私、今日、45年ぶりに来ました」
「ありがとございます」
「すぐそこにあった音楽学校の生徒だったんです」
「あ~、自由音楽学園ね。学校があった頃は生徒さんが、よく来てくださってました」
品の好い、長身のマスターが、丁寧に応えてくれます。
※(自由音楽学園は2012年3月に閉校しました)
当時、「マロ」 は、学園生御用達の店だったのです。
在校生も卒業生も、みんなお世話になっていました。
たぶん、メニュー価格が安かったんでしょうね。
(今のメニューも、令和とは思えないリーズナブル価格でした)
中でも、安くて美味しくて学園生に人気だったのが、店オリジナルの 「マロドリンク」 でした。
今でいうエナジードリンクで、黄色くて炭酸が利いた甘い飲み物です。
でも、メニュー表にはありません。
「マロドリンクは、もうないのですね?」
僕が残念そうに言うと、マスターは笑みを浮かべながら、
「音楽学園の生徒さんに人気があったよね。店内を改装した時に、メニューから外しちゃったんですよ」
と、済まなそうに言いました。
聞けば、今年で開業49年とのこと。
来年で、半世紀です。
「えっ、あの頃マスターは、おいくつだったんですか?」
「20代ですよ」
今思えば、僕らと歳は、そんなにも変わらなかったのですね。
なんだか、とっても不思議な空間です。
一瞬にして、学生に戻ったかと思うと、互いに白髪のマスターと元学生の僕が、こうして会話をしています。
45年という時空を、行ったり来たり、来たり行ったり……
「また、来ます」
「ありがとうございました」
まるでマジックを見ているような、奇跡を体験したかのような、胸の奥がチクチクしたひと時でした。
Posted by 小暮 淳 at 11:25│Comments(4)
│つれづれ
この記事へのコメント
「マロ」の名の由来かな?
Posted by T課長 at 2023年05月04日 12:30
T課長さんへ
ありがとうございます。
「マロ」 のことを覚えていてくださったんですね。
でも、違うんです。
毛の色が栗色(マロン)だったからなんですよ。
ありがとうございます。
「マロ」 のことを覚えていてくださったんですね。
でも、違うんです。
毛の色が栗色(マロン)だったからなんですよ。
Posted by 小暮 淳
at 2023年05月04日 13:11

思い出の喫茶店あって良かったですね。
喫茶店でコーヒー飲んでると大人になった気分だった。甘い思い出、切ない思い出。
あの喫茶店まだあるかなあ。
喫茶店でコーヒー飲んでると大人になった気分だった。甘い思い出、切ない思い出。
あの喫茶店まだあるかなあ。
Posted by まいちゃ at 2023年05月04日 23:44
まいちゃさんへ
実は、この日、当時住んでいたアパートも訪ねました。
が、すでに取り壊され、跡地には立派なマンションが建っていました。
懐かしいような、違う町に来たような……
複雑な気持ちになりました。
まいちゃさんも、ぜひ、思い出の町を訪ねてみてください。
実は、この日、当時住んでいたアパートも訪ねました。
が、すでに取り壊され、跡地には立派なマンションが建っていました。
懐かしいような、違う町に来たような……
複雑な気持ちになりました。
まいちゃさんも、ぜひ、思い出の町を訪ねてみてください。
Posted by 小暮 淳
at 2023年05月05日 08:31
