2024年11月26日
「今のこども」 として
先日、群馬県小中高生新聞感想文コンクールの最優秀賞と優秀賞の発表があり、地元紙に各部門 (小学校低学年の部、小学校中学年の部、小学校高学年の部、中学校の部、高校の部) の作品が掲載されました。
どの部門の作文も、よく書かれていて、感心しきりです。
「新聞離れ」 がいわれるようになって久しいですが、いえいえ、みなさん熟読玩味しています。
もしかしたら、大人たちのほうが新聞離れしているのでは? と思うくらいです。
ただね、取り上げているテーマに無理があるのでは? という作品もありました。
認知症やいじめ、米不足、空き家問題、フードロスなど、親や先生に選んでもらったテーマを背伸びして書いているような。
そんななか、「おっ、この子の視点はすごい!」 と思った作品がありました。
優秀賞を受賞した前橋市の小学校5年生の女の子の作文です。
『これって本当? 記事への疑問』 と題し、新聞で読んだ記事に対して 「今の子ども」 として独自の意見を述べています。
<ある学校で、水道の蛇口から水を、じか飲みすることができない子どもがいて、先生が驚いたという記事がありました。ふだんから水筒で水を飲むことになれたその子どもは、水道の蛇口からどうやって水を飲んでいいのか方法が分からない、という内容でした。>
結局、その子どもは、先生からもらっさたコップを使い、水を飲んだといいます。
このことについて新聞記事は、<昔と今は変わった> <時代の変化やコロナの影響> <昔の子どもならできたことが、今の子どもにはできない> という世代間のギャップとしてまとめられていたそうです。
これに対して、彼女の視点は違いました。
<水を飲むときにコップがなければ(手で)水をすくって飲んだり、蛇口を上向きにして直接水を飲むことは自然のことだと思っていました。>
と、「今の子ども」 でも水が飲めることを告げています。
蛇口から水が飲めないのは、世代の違いではなく、経験の有無だと。
さらに彼女は、こんなエピソードにも触れています。
<小さい時から外で遊ぶ経験が少ない子どもが、親からボールを渡されて公園で 「自由に遊んでいいよ」 といわれたところ、なにもできずに 「どうすればいいの?」 と聞き返したそうです。>
これも世代の違いではなく、経験の有る、無し、だと言い切ります。
「○○がないと○○できない」 「指示がないと動けない」 子どもたちが増えていることは事実のようです。
でも、それは、大人が子どもに体験させないから?
昔の子どもできたことは、「今の子ども」 もできるはず。
「今の子ども」 は、経験の場がないだけ。
最後に彼女は、新聞に対して、チクリと苦言を申します。
<わたしは、「今の子ども」 として新聞の記事にあと1つ、個人ごとの経験のちがいについてふれてくれればよかったのにな、と思いました。>
あっぱれ!
Posted by 小暮 淳 at 11:57│Comments(0)
│つれづれ