2010年03月26日
「みなかみ紀行」と水上
水上温泉を紹介するとき、若山牧水の『みなかみ紀行』がよく引き合いに出されますが、牧水は大正11年のこの旅では、水上へは立ち寄っていません。沼田に投宿の後、法師温泉へ向かっています。
どうしてか、群馬の人は「みなかみ」というと、水上温泉の「みなかみ」をつい連想してしまうようです。でも『みなかみ紀行』の「みなかみ」は、地名ではなく川の上流のことです。
牧水は『みなかみ紀行』のなかで、次のように記してます。
<私は河の水上(みなかみ)というものに不思議な愛着を感ずる癖をもっている。一つの流れに沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其処にまた一つの新しい水源があって小さな瀬を作りながら流れ出している、という風な処に出会うと、胸の苦しくなるような歓びを覚えるのが常であった。>
ちなみに、牧水が水上を訪れたのは、大正7年のこと。沼田から湯檜曽まで、利根の渓谷に入り込んだと『みなかみ紀行』のなかで述懐しています。ただし、当時はまだ水上温泉とはいわず、「湯原の湯」と呼ばれていました。旅館「藤屋」に泊まっています。
どうしてか、群馬の人は「みなかみ」というと、水上温泉の「みなかみ」をつい連想してしまうようです。でも『みなかみ紀行』の「みなかみ」は、地名ではなく川の上流のことです。
牧水は『みなかみ紀行』のなかで、次のように記してます。
<私は河の水上(みなかみ)というものに不思議な愛着を感ずる癖をもっている。一つの流れに沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其処にまた一つの新しい水源があって小さな瀬を作りながら流れ出している、という風な処に出会うと、胸の苦しくなるような歓びを覚えるのが常であった。>
ちなみに、牧水が水上を訪れたのは、大正7年のこと。沼田から湯檜曽まで、利根の渓谷に入り込んだと『みなかみ紀行』のなかで述懐しています。ただし、当時はまだ水上温泉とはいわず、「湯原の湯」と呼ばれていました。旅館「藤屋」に泊まっています。
Posted by 小暮 淳 at 09:36│Comments(0)
│温泉雑話