2010年12月08日
島人たちの唄⑧ 「坂道と少女」
篠島は周囲 6.7キロメートル、南北に細長い勾玉(まがたま)のような形をしている。
北部の埋め立て地区を除くと、起伏の多い山島だ。
民家はわずかな平地と、斜面に寄り添うように密集している。
道は極端に狭く、四輪車はほとんど通れない。
坂が多く、迷路のように入り組んだ道では、スクーターが島民の唯一の足がわりなのである。
西の港から東の浜へ抜けるには、神明神社の坂道を通るのが最も近い。その距離、わずか200メートル。
坂のてっぺんから西に東に海を望むことができるこの道を、僕は日に何度も往復した。
当然、島民にとっても生活に欠かせない幹線道路のため、ひっきりなしにスクーターが行き交っている。
この坂道の途中に、島でたった一軒の本屋 「小久保書店」 がある。
書店といっても、外観も店内も屋号とは程遠い、雑貨屋である。
店内の3分の2は生活用品や文房具品で占められていて、残りの3分の1のスペースに、雑誌とコミックと、わずかな書籍が置かれているだけだ。
いつ通っても、人影はなく、店自体がやっているのか、閉まっているのか、通るたびに不思議に思っていた。
絹のようなやさしい雨が降り続く、日曜日だった。
僕は朝からオフ日に当てていた一日だったので、ひまを持て余していた。
せっかく持参した釣り具も手つかずのまま、雨の島をただあてもなく歩いていた。
坂の上り口にある「六地蔵」と呼ばれる灯籠の前で、「その昔、加藤清正が、名古屋城を築城した際に、この島から岩を切り出したそのお礼に贈られたものだ」と話す老人との立ち話にも、そろそろ飽きてきた頃、港の方からやって来る赤い傘に気づいた。
少女だった。
埋め立て地区の子だろうか。
こんな雨の日に、一人でどこへ行くのだろうか。
郵便局の角を曲がり、坂道を上がり出した少女を、僕は老人の話に相づちを打ちながら、目で追っていた。
少女は「小久保書店」の前で、立ち止まった。
何度か入り口の戸に手をかけているようで、そのたびに、小さな赤い傘が揺れている。
しばらく少女はそこにたたずんでいたが、とうとう店の人は、出て来なかった。
少女が坂道を下りて来た。
また港の通りへもどって行った。
いつしか、老人の姿も消えていた。
振り返ると、いつもは賑やかな坂道が、雨に濡れながら、ひっそりと静まりかえっていた。
Posted by 小暮 淳 at 10:53│Comments(0)
│島人たちの唄
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
|
|
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。