2011年05月13日
四万温泉 「豊島屋」
山口地区にある老舗旅館 「豊島屋(としまや)」の5代目主人の田村明義さんとは、10年以上の付き合いになります。
2000年に開催された 『探四万展(さがしまてん)』(四万温泉協会主催) に、作家およぴシンポジュームのパネリストとして参加して以来、協会の青年部の方々とは、何かに付けて交流を深めてきました。
『探四万展』 終了後、12人の作家の作品は、交渉成立した旅館へ買い取られ、所蔵旅館にて展示されることになりました。
ちなみに僕の作品(直筆原稿と水彩画)は、豊島屋の向かいの鍾寿館にて展示されています。
で、豊島屋は、彫刻家の三谷慎さんの作品が展示されています。
三谷さんほどの作家になると、やはり廊下や踊り場というわけにはいきませんので、しっかりギャラリーが設けられ、イベント出展作品以外の作品も展示されています。
そんなこともあり、この10年間は、仕事とプライベートの両方で、たびたびお世話になっています。
四万温泉には田村姓が多いのですが、そのなかでも山口地区は特に多いんですね。
豊島屋も田村さんだし、向かいの鍾寿館も田村さんだし、やまぐち館も田村さん。
老舗といわれる古い宿は、みーんな田村さんです。
これは、山口地区が四万温泉の発祥の地だからなんです。
一般に、温泉の発見伝説は、薬師堂のある日向見地区と伝わっていますが、これは伝説です。
湯はあったとしても、その頃は、まだ宿はありません。
室町時代、永禄6年(1563)に、田村甚五郎清政という武士が、岩櫃(いわびつ)城が真田勢に攻められた際、四万の山中で追っ手を防いで戦い、そのまま留まって温泉を発見して、湯宿を始めたとされています。
その場所が、現在の山口地区です。
その後、甚五郎の孫、彦左衛門が分家して、新湯地区に湯宿を開業しました。
これが田村旅館、現在の「四万たむら」です。
「実は、正直なところ、私が何代目かは分からないんですよ」
と、明義さん。
「豊島屋の名は、安政16年(1868)の古地図には載っているのですが、明治時代に山口地区は大火に遭い、焼け出されてしまったんです。一時は、親戚である田村旅館に身を寄せていましたが、明治28年に現在の場所にもどり再建したと聞いています。この新創業から、私で5代目となります」
知れば知るほど、四万の歴史は深くて、面白いんですね。
田村姓は、四万温泉の祖でありますから、当然、湯の権利を持っています。
自家源泉を所有しているということです。
ここ豊島屋も、「薬王乃湯」という泉温58.3度、湧出量毎分200リットルという立派な泉源を所有しています。
さらに、この高温泉を加水することなく、熱交換式の冷却装置を使用して、上質な源泉そのままの湯を浴槽へ注ぎ入れています。
温泉地の歴史を知ると、湯の状態まで分かってくるんですね。
2000年に開催された 『探四万展(さがしまてん)』(四万温泉協会主催) に、作家およぴシンポジュームのパネリストとして参加して以来、協会の青年部の方々とは、何かに付けて交流を深めてきました。
『探四万展』 終了後、12人の作家の作品は、交渉成立した旅館へ買い取られ、所蔵旅館にて展示されることになりました。
ちなみに僕の作品(直筆原稿と水彩画)は、豊島屋の向かいの鍾寿館にて展示されています。
で、豊島屋は、彫刻家の三谷慎さんの作品が展示されています。
三谷さんほどの作家になると、やはり廊下や踊り場というわけにはいきませんので、しっかりギャラリーが設けられ、イベント出展作品以外の作品も展示されています。
そんなこともあり、この10年間は、仕事とプライベートの両方で、たびたびお世話になっています。
四万温泉には田村姓が多いのですが、そのなかでも山口地区は特に多いんですね。
豊島屋も田村さんだし、向かいの鍾寿館も田村さんだし、やまぐち館も田村さん。
老舗といわれる古い宿は、みーんな田村さんです。
これは、山口地区が四万温泉の発祥の地だからなんです。
一般に、温泉の発見伝説は、薬師堂のある日向見地区と伝わっていますが、これは伝説です。
湯はあったとしても、その頃は、まだ宿はありません。
室町時代、永禄6年(1563)に、田村甚五郎清政という武士が、岩櫃(いわびつ)城が真田勢に攻められた際、四万の山中で追っ手を防いで戦い、そのまま留まって温泉を発見して、湯宿を始めたとされています。
その場所が、現在の山口地区です。
その後、甚五郎の孫、彦左衛門が分家して、新湯地区に湯宿を開業しました。
これが田村旅館、現在の「四万たむら」です。
「実は、正直なところ、私が何代目かは分からないんですよ」
と、明義さん。
「豊島屋の名は、安政16年(1868)の古地図には載っているのですが、明治時代に山口地区は大火に遭い、焼け出されてしまったんです。一時は、親戚である田村旅館に身を寄せていましたが、明治28年に現在の場所にもどり再建したと聞いています。この新創業から、私で5代目となります」
知れば知るほど、四万の歴史は深くて、面白いんですね。
田村姓は、四万温泉の祖でありますから、当然、湯の権利を持っています。
自家源泉を所有しているということです。
ここ豊島屋も、「薬王乃湯」という泉温58.3度、湧出量毎分200リットルという立派な泉源を所有しています。
さらに、この高温泉を加水することなく、熱交換式の冷却装置を使用して、上質な源泉そのままの湯を浴槽へ注ぎ入れています。
温泉地の歴史を知ると、湯の状態まで分かってくるんですね。
Posted by 小暮 淳 at 14:53│Comments(2)
│温泉地・旅館
この記事へのコメント
今日は 川古温泉に行ってきました(^0^)/
新緑と八重桜が綺麗で 良かったです
さて 田村姓… えーと
中学の部活の後輩で 田村て 居たなぁ?
四万出身と 言って居た様な…
あとは 薄根のりんご園も田村さん
(^_^;) 真田氏と 関わりが有ったようで
由緒正しい。
新緑と八重桜が綺麗で 良かったです
さて 田村姓… えーと
中学の部活の後輩で 田村て 居たなぁ?
四万出身と 言って居た様な…
あとは 薄根のりんご園も田村さん
(^_^;) 真田氏と 関わりが有ったようで
由緒正しい。
Posted by momotaka at 2011年05月14日 19:46
momotakaさんへ
川古温泉ですか、これからの季節は、ますます、ぬる湯がいいですね。
新聞連載でも、夏場は、ぬる湯を取材しようと思っています。
川古温泉ですか、これからの季節は、ますます、ぬる湯がいいですね。
新聞連載でも、夏場は、ぬる湯を取材しようと思っています。
Posted by 小暮 淳
at 2011年05月14日 21:56
