2013年10月20日
ヌードの市民権
昨晩は、子ども会育成連合会の上期の慰労会に出席してきました。
うちの子たちは、とっくに子ども会を卒業しているんですけどね。
なぜか、父親の僕が地区の役員として残ってしまったんです。
ま、ほかに、やる人がいなくて、仕方なくお手伝いをしています。
が、このところ忙しくて、なかなかお手伝いに行けてません。
秋の最大イベントでもある市民運動会さえ、オヤジの介護のため参加できませんでした。
ところが、ちゃっかり慰労会(飲み会) だけには、顔を出す僕です。
「すみません。いつも、こんな席にしか参加できなくて」
と、役員のみなさんに詫びると、
「いいの、いいの。小暮さんは、行事に出られなくても、飲み会に顔を出してくれればさ」
なーんて、会長から言われてしまいました。
みなさん、本当にすみません。
酒の席だけ現れる “幽霊会員” で・・・
「上期、お疲れさまでした」
と、僕が隣の席のSさんにビールを注ぐと、
「毎回、小暮さんのヌードを楽しみにしてたのに、脱がなくなっちゃって残念ですよ」
と言われました。
どうも、朝日新聞の連載記事のことを言っているようです。
2年間連載していた 『湯守の女房』 というドキュメン記事は、必ず僕の入浴写真が掲載されていました。
が、シリーズは今年の3月で終了。
この4月からは、『小暮淳の温泉考座』 とタイトルを替えて、温泉うんちくを語るコラムがスタートしました。
よって、写真の掲載はありません。
Sさんは、このことを言っているようです。
「そうですか、最初の頃は不評だったんですよ」
「あれが良かったんじゃない。本当に温泉に入って書いているって分かって」
僕は、新聞や雑誌の連載、著書も含めて、すべての温泉記事に僕自身が入浴している写真を掲載しています。
「おっさんのハダカなんか、見たくねーよ」
「なんで女性モデルを使わないの?」
という声を、散々耳にしてきました。
かのジャーナリスト木部克彦氏も、著書 『続・群馬の逆襲』 の中で、こんな風に書いてます。
< (前略) この連載に毎回毎回 「セルフヌード」 を載せるという暴挙に出ているのです。これは許せん(笑) (中略) オジサンの全裸入浴写真が、朝刊を開くと目に飛び込んでくるのです。>
とね。
裸をさらし続けて、苦節約10年。
誹謗・中傷・嘲笑の声は、あまたと浴びました。
それでも、やめなかったのは、記事のドキュメント性を高めたかったのと、臨場感を出したかったからにほかなりません。
そして、ここ最近になって、この取材スタイルが、認知されてきたように思われます。
やっと、市民権を得たのかもしれませんね。
これからも取材スタイルは変えずに、大好きな温泉の魅力を読者のもとへ届けたいと思います。
オジサンのヌードとともに・・・
Posted by 小暮 淳 at 21:43│Comments(2)
│執筆余談
この記事へのコメント
こんばんは。
えっと。。私は先生のおっしゃる「ドキュメント性と臨場感」に大賛成ですね。
確かに若く美しい女性が湯面に身をゆだねている姿は絵になります。(私のようなオバチャンがパンダの行水のようにおなかを突き出して浴槽の縁に寄りかかっていても、きっとブーイング)
繊細でしなやかな名湯の清らかさと男性のダイナミックさとのギャップが、逆に名湯たる所以をかもしだしてくれていると思います。だから若い華奢な男性でもなく、いぶし銀のオッチャンだからこそ出せる臨場感(失礼)
ますますのご活躍をお祈りしております。
えっと。。私は先生のおっしゃる「ドキュメント性と臨場感」に大賛成ですね。
確かに若く美しい女性が湯面に身をゆだねている姿は絵になります。(私のようなオバチャンがパンダの行水のようにおなかを突き出して浴槽の縁に寄りかかっていても、きっとブーイング)
繊細でしなやかな名湯の清らかさと男性のダイナミックさとのギャップが、逆に名湯たる所以をかもしだしてくれていると思います。だから若い華奢な男性でもなく、いぶし銀のオッチャンだからこそ出せる臨場感(失礼)
ますますのご活躍をお祈りしております。
Posted by G@さいたま at 2013年10月20日 23:04
G@さいたまさんへ
いつもいつも、ありがとうございます。
そう言っていただけると、とても心強いですね。
今週も、今日から温泉行脚の旅が始まります。
心置きなく、思いっきりヌードになってきますよ。
感謝!
いつもいつも、ありがとうございます。
そう言っていただけると、とても心強いですね。
今週も、今日から温泉行脚の旅が始まります。
心置きなく、思いっきりヌードになってきますよ。
感謝!
Posted by 小暮 at 2013年10月21日 10:36