2017年08月27日
長者番付に載らなくても
AKB48グループのプロデューサーであり、作詞家の秋元康氏の自叙伝的小説 『さらば、メルセデス』 に、こんな一節があります。
<今朝の新聞の長者番付に、僕の名前が載っていた。(中略) 僕のような仕事をする者にとって、収入とは、実力のバロメーターだ。どんなに口で 「いいね」 と褒められるより、ギャラの額で評価された方がいい。>
読んでいて、はたと、このページで手が止まってしまいました。
若い頃なら、「所詮、秋元も拝金主義かよ!」 なんて思ったのかもしれません。
または、「長者番付に載る人は、レベルが違う」 と敗北感を味わっていたかもしれません。
でも僕が、ページをめくる手を止めたのは、そこではありません。
“実力のバロメーター” という言葉です。
「実力? 才能じゃないんだ!?」
という、躊躇でした。
久しぶりに、“実力” という言葉を目にした気がします。
とかく、表現の世界で暮らしていると、“才能” という言葉に振り回されがちであります。
ま、才能のアル、ナシで片付けてしまうと、物事は簡単ですし、人は結果に納得しやすいからです。
でも、“実力” は違います。
はるかに重い響きがあります。
例えるならば、才能は 「瞬発力」 のようなもの。
比べ、実力は 「持久力」 ではないでしょうか。
才能があっても、実力がなければ、成功には導けません。
逆に、才能はなくても、実力のみで地位を手にした人は、たくさんいます。
その昔、プロ野球の張本選手が、スーパースターの長嶋茂雄のことを「天才」 と書いた新聞記者に、かみついたことがありました。
「あんなに努力している人を、たった二文字で片付けるな!」と……。
たぶん、僕は本を読んでいて、そのエピソードを思い出したんだと思います。
<長者番付の他の人が、みんな、ひとつのことをやり遂げているのに、僕は、たまたま運よく時代の追い風に乗っただけだ。(中略) もっと、実態のあるものをやり遂げてからここに登場していたら、また、違っていたかもしれない。32歳の若さで、長者番付に載るほど、ギャラを稼ぐことに夢中になっていた自分が恥ずかしかった。>
そして秋元氏は、富の象徴である愛車のメルセデス・ベンツを手放し、ニューヨークへと旅立って行きます。
ま、凡人の僕が、とやかく言うことではありませんが、才能も実力も、上には上がいるということです。
若い頃ならば、「今に見ていろ、俺だって!」 と拳を振り上げるのでしょうが、今となっては、ただただ人間としてのスケールの違いを感じるだけであります。
Posted by 小暮 淳 at 21:49│Comments(2)
│つれづれ
この記事へのコメント
実力と聞くと、思いつくのは「地方の実力者」とか「学生時代の実力テスト」。
学生時代の実力テストは、範囲が決まっていないところから問題が出るので、本当の実力が出ると教えられた。
そのため、テストで良い点を取るには、広い範囲で知識をためることが実力だと思っていた。
しかし、社会に出てからの実力とは、一つのことに深い知識や経験で、他の人より秀でていることだと解ってきた。
もっと早くから解っていれば、実力がある人生が送れたのかもしれない。
でも、一つのことをずっとやり通す根性が無いので無理だなあ。
学生時代の実力テストは、範囲が決まっていないところから問題が出るので、本当の実力が出ると教えられた。
そのため、テストで良い点を取るには、広い範囲で知識をためることが実力だと思っていた。
しかし、社会に出てからの実力とは、一つのことに深い知識や経験で、他の人より秀でていることだと解ってきた。
もっと早くから解っていれば、実力がある人生が送れたのかもしれない。
でも、一つのことをずっとやり通す根性が無いので無理だなあ。
Posted by ヒロ坊 at 2017年08月28日 22:41
ヒロ坊さんへ
ありました、ありました「実力テスト」!
何が“実力”なんだろうと思っていましたが、そういう意味だったんですね。
中間テストや期末テストとは、内容が違ったのですね。
この歳になって、スッキリしました。
ありがとうごまいす。
ありました、ありました「実力テスト」!
何が“実力”なんだろうと思っていましたが、そういう意味だったんですね。
中間テストや期末テストとは、内容が違ったのですね。
この歳になって、スッキリしました。
ありがとうごまいす。
Posted by 小暮 淳
at 2017年08月29日 20:31
