2019年07月22日
過去から届いたセピア色のハガキ
<お元気でしょうか? ぼくは相変わらず仕事に追われた毎日を送っています。もう完全にぼくの生活は、東京でぼくの手によって動いています。そして、これからも夢を追いつづける以上、この街で生活しつづけるつもりです。>
今年になって、2月そして5月と続けて両親を看取りました。
数ヶ月の間に、通夜も告別式も四十九日の法要も、2回ずつ済ませました。
なんとも、あわただしい両親との別れでした。
先日のこと。
「おい、オヤジとオフクロの遺品整理を手伝ってくれ」
アニキから連絡があり、久しぶりに実家に顔を出しました。
「こんなの要らないよな? お前、使うか?」
オヤジの服や靴などは、処分することにしました。
「本は、どうする?」
オヤジの蔵書は、アニキと目を通し、必要な書籍だけ互いが譲り受けることにしました。
「ああ、そうだ! これオフクロの持ち物なんだけどさ。全部、お前のだから持って行ってくれ」
と手渡された大きな紙袋が1つ。
覗き込むと、それは……
僕の小学校の時の絵や作文、孫の写真など、こまごまとした懐かしい思い出の品が、ゴッソリ入っていました。
「わかった。後で、ゆっくり見るよ」
と言って、持ち帰ってきました。
母親とは、ありがたいものですね。
どうでもいいようなガラクタのような物でも、何十年と大事に取って置いてくれるのですから。
いえいえ、僕の子どもの時の思い出の品だけではありませんでした。
大人になって、この仕事に就いてから書いた新聞や雑誌の連載記事までもが、ちゃんとファイルに収まっていたのです。
「かあちゃん、ありがとう」
あらためて、感謝の思いが募ります。
しみじみと遺品に目を通していたら、パラリと1枚のハガキが落ちました。
セピア色に黄ばんだ20円の官製ハガキです。
あて先は、実家の住所。
あて名は、両親。
そして差出人は、20歳の僕です。
住所は、当時暮らしていた東京都中野区のアパート。
冒頭の文章が、ハガキの書き出しです。
そして、こう続けられていました。
<よって、すべて自分の力で生きてみたいので、家賃の仕送りはもういりません。(中略) もうぼくは、この年になってまで親の視野の中で生きているのはイヤなのです。わかって下さい。つらく、くるしい時もあると思いますが、必ず乗り切ってみせます。ぼくの人生ですから。体に気をつけてください。いつまでも元気で! 淳>
この手紙を書いた覚えはありませんが、仕送りを断った記憶はあります。
僕なりの 「親離れ」 「独立宣言」 だったようです。
あれから40年が経ちました。
オフクロは40年間も、このハガキを大切に持っていてくれたのですね。
過去から届いたハガキですが、長い間親の愛情に温められていたため、熟成して発酵して、なんとも味のある色に輝いてみえます。
今日からは僕が、後生大事にすることにしました。
Posted by 小暮 淳 at 18:54│Comments(0)
│つれづれ