2020年02月21日
線香が燃えつきなくて
♪ 私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません ♪
もちろん泣きもしませんし、そこにいないことも知っていますが、命日だもの、墓参りに行かないわけにはいきません。
昨日2月20日は、オヤジが亡くなった日です。
早くも1年が過ぎました。
ひと言で、この1年を振り返れば、「介護から解放された自由な1年」 だったと言えます。
ただ、家の中のそこかしこにオヤジの残り香があり、「ああ、よくここで、うたた寝をしていたな」 とか、「夜中に何回もトイレに起こされたな」 と、何かにつけて思い出すのですが、悲しくはありません。
もしかしたら10年という長い介護生活が、悲しみという感情を麻痺させてしまったのかもしれませんね。
“介護が長ければ長いほど、亡くなった後の悲しみは反比例する” ようです。
花と線香と水桶を手に、両親が眠る墓の前に立ちました。
家族や親族は一周忌に集まることにして、昨日は僕とアニキと2人だけの墓参りです。
「じいさん、久しぶり! もう1年が経っちまったよ。そっちは、どうだい? 暮らしやすいかい? でも、さみしくはないよな。追いかけるように、すぐに、ばあちゃんも、そっちへ行ったからさ。また一緒にケンカしいし仲良く暮らしているんだろう? そうそう、マロには会ったかい? 去年の秋に、そっちへ行ったんだけど。まだ会えてないかな? そうか、じいさんは犬が嫌いだったからな、マロもなついていなかったし。じゃあ、マロは、ばあちゃんのところへ行ったね。ばあちゃんは、マロを可愛がっていたから……」
とかなんとか、墓前で手を合わせていると、
「うちもさ、ああいうのがあるといいね」
突然、アニキが隣の墓石を指さしました。
「あれ、本当だ! あれなら線香が最後まで燃えつきるね」
見れば左右の墓も、その隣の墓も、見渡せば、そのほとんどの墓の線香立ての中に、金属の網を張ったトレーのようなものが置かれています。
墓石の線香立ては、そのほとんどが線香を寝かせるタイプです。
そのため線香が燃えつきずに、途中で消えてしまうのです。
それが雨風にさらされて、散らかって、とても汚らしいのです。
「来月の一周忌までには、うちも、あれを置こう! で、どこで売ってるんだ?」
「仏具屋じゃないの?」
「ホームセンターじゃ、売ってないのかな?」
「どこでもいいから、墓守の長男に任せるから買っといてよ」
オフクロが亡くなったのは令和元年の初日、5月1日です。
だからオヤジの命日との間をとって、彼岸に合同の一周忌をとり行うことにしました。
また一族が集まり、にぎやかな日になりそうです。
Posted by 小暮 淳 at 11:50│Comments(0)
│つれづれ