2021年03月11日
あれから10年 ~あの日あの時 大胡温泉~
「女将さん!?」
「……あっ、いま、オフクロに換わります」
息子さんが出たようです。
「もしもし、女将さん!?」
「……最近、オフクロったら耳が遠くなっちゃって。いま、補聴器を付けてますから」
「もしもーし! 女将さんですか!?」
少し間があって、
「はいはい、元気ですよ。コグレジュンさん」
なぜか女将は、僕のことをフルネームで呼びます。
さるアナウンサーが、テレビの報道番組で、
「東日本大震災から今年で10年を迎えます」
と伝えたところ、被災者の方から注意をされたといいます。
「震災は終わっていません。震災発生から10年と言うべきです」
と……
2011年3月11日、午後2時46分。
あの日あの時、僕は大胡温泉 (前橋市) の一軒宿 「旅館 三山センター」 に居ました。
なぜ僕は、あの日あの時、あそこに居たのだろうか?
取材でもないし、入浴もしてないし……
発生から数年間は失念していましたが、その後、理由が判明しました。
その数日前、女将さんから電話をもらったのでした。
「コグレジュンさんのファンの方が来て、手紙を置いて行ったのよ。ついでの時に、寄ってちょうだい」 と。
そして、仕事の途中に、たまたま寄った時間が、午後2時46分でした。
グラッ、グラグラグラ……
ガタッ、ガタガタガタ……
その揺れの大きさに驚いて、女将と従業員らとともに外へ飛び出し、駐車場の真ん中で、うずくまっていました。
翌年から僕は、同じ日の同じ時間に大胡温泉を訪れて、女将と一緒に黙とうを捧げてきました。
でも、2年前からは今日のように電話で、声を掛け合うようになりました。
理由は、旅館が日帰り入浴をやめてしまったこと。
それと、女将さんが高齢になり、旅館の経営を息子さんに任せるようになったからです。
「女将さん、元気ですか?」
「はいはい、おかげさまでね。コグレジュンさんも、お元気のようで」
「はい、コロナに負けず、なんとか元気にやってます」
他愛のない会話ですが、電話の声が、今は亡きオフクロの声と重なります。
「たまには顔を見せて、くださいな」
「はい、寄らせていただきます」
あれから10年が経ちました。
場所は離れていますが、今年も女将たちと一緒に、黙とうを捧げたいと思います。
あの日あの時を忘れないために。
Posted by 小暮 淳 at 12:29│Comments(2)
│温泉地・旅館
この記事へのコメント
小暮先生、東日本大震災によりお亡くなりになられた方々の御冥福を私も利根川源流の町よりお祈り致します。
東北の被災地には特に何も出来ませんが、今までも‥そして今後も「温泉旅」という形で私なりの応援をしていきたいと考えています。 ※5月には福島県にお邪魔する予定です。
東北の被災地には特に何も出来ませんが、今までも‥そして今後も「温泉旅」という形で私なりの応援をしていきたいと考えています。 ※5月には福島県にお邪魔する予定です。
Posted by 水上のなべちゃん at 2021年03月11日 14:16
水上のなべちゃんさんへ
「できることをする」
できないことを悲しむより、今できるを精一杯する。
若い頃から、そう思っていましたが、震災後は、より強く感じるようになりました。
「できることをする」
できないことを悲しむより、今できるを精一杯する。
若い頃から、そう思っていましたが、震災後は、より強く感じるようになりました。
Posted by 小暮 淳
at 2021年03月11日 19:14
