2021年01月11日
虹色の輝きは魔法のおまじない
ひざ小僧で光り輝く赤い色は、わんぱく小僧であるしるし。
そして、昭和の子供たちの勲章でもありました。
昨年の暮れ、国内唯一のメーカーだった三栄製薬 (東京) が、「マーキュロクロム液」 の製造を終了しました。
通称、「赤チン」。
なんで、赤チンと呼ばれていたのか?
それまで同じ殺菌・消毒の目的で使われていた 「ヨードチンキ」 が茶色なのに対して、色が赤いことから 「赤チン」 と呼ばれるようになったのだといいます。
だから僕らは子どもの頃、茶色いのは 「ヨーチン」、赤いのを 「赤チン」 と呼び分けていました。
(赤チンのことは、「マーキロ」 とも呼ばれていました)
アメリカから日本に赤チンが入って来たのは、戦前 (1939年頃) のこと。
戦後の最盛期には、国内で100社以上が生産していたといいます。
ところが発がん性があるとか、水銀が含まれているとかの風評があり、だんだんと使われなくなっていったようです。
確かに、僕のまわりでも赤チンを塗っていたのは小学生までで、中学生になるとサビオやバンドエイドなどの 「キズバン」 という簡易絆創膏を貼っていた記憶があります。
当時、そう昭和の子供たち、それも男の子たちは、みんな半ズボンでした。
だから、すり傷・切り傷は日常茶飯の出来事です。
特に、ひざ小僧は、毎日のように、どこかにぶつけて、いつでも傷だらけ。
男の子なら誰もが、保健室の若いお姉さん先生に、赤チンを塗ってもらった甘酸っぱい思い出があるはずです。
「男の子でしょ、我慢しなさい!」
なんて言われながら、赤チンを塗ってもらいました。
そして、塗ってもらった後は……
そうです! 誰もが 「フーフー」 と塗ってもらった傷口に息を吹きかけて、乾かすのです。
すると……
あーら不思議、赤チンが乾くと表面は、光の具合でキラキラと虹色に光り輝き出すのです。
この輝きは、子供にとって、魔法のおまじないと同じ効果がありました。
「光ったら、治る」
そして、それは、少年たちの勲章になりました。
また1つ、昭和の思い出が消えてしまいましたね。
2021年01月10日
ウイズコロナは悲喜こもごも
「ボロは着てても心は錦じゃ~!」
負け惜しみなのは分かっていても、そう叫ばずにはいられませんでした。
新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません。
あまりに長引く “ウイズコロナ” は、私たちの生活や人生、はたまた未来までもを変えようとしています。
閉店せざるを得なくなった自営業者、リストラされた会社員、仕事を減らされたパートタイマー……。
それだけではありません。
ローンが払えずに家を手放した人、家賃を滞納して部屋を追い出された人……。
目に見えないところで、人々の限界はせまりつつあります。
ところが、意外や意外、一方で景気の良い話もあるのです。
なんでも、デパートでは宝飾品や時計、絵画などの高額商品が飛ぶように売れているといいます。
それもコロナ前よりもアップしているとか。
いったい、この現象は?
と、思案したところで貧乏人には、生涯解けない問題ですが。
答えは、富裕層のストレス解消による “巣ごもり消費” なのだといいます。
所得が高い人ほど、海外旅行などの娯楽やレジャーへの支出割合が高く、その分のお金が高額品に向かったようです。
「コロナ禍は、世の中からお金が消える経済危機ではない」
とは、さる識者の見解ですが、どうみても僕と僕のまわりからは、完全にお金が消えています。
コロナ禍は、ますます社会の格差を広げているようです。
いつの時代でも、いつの世でも、人々の暮らしは 「悲喜こもごも」 であります。
ついついウイズコロナの現状を語る場合、「悲」 ばかりがクローズアップされがちですが、庶民とは無関係な世界には、ちゃんと 「喜」 の部分が存在していたのですね。
新聞に宝飾時計店社長の、こんなコメントが載っていました。
<富裕層には200~300万円の時計が人気なのに加え、2019年までは全店で月に数本程度だった1本1000万円以上の時計の売り上げが、コロナ禍の今、毎日どこかの店舗で売れるようになった。>
ま、僕には関係ない話ですが、最後に、もう一度だけ叫んでもいいですか!?
「ボロは着てても心は錦じゃ~!」
2021年01月09日
温泉考座 (59) 「入れ替わった神様」
毎年5月9~10日の両日、沼田市の老神(おいがみ)温泉で開かれる赤城神社の例大祭 「大蛇まつり」。
「セイヤー、セイヤー」 と威勢の良いかけ声とともに、巨大なヘビが夜の温泉街を練り歩く勇壮な祭りです。
その昔、赤城山の神 (ヘビ) と日光男体山の神 (ムカデ) が戦った折、傷ついた赤城の神が矢を地面に突き立てると、湯が湧き出しました。
その湯につかり傷を癒やした赤城の神は陣を立て直し、日光の神を追い返したことから 「追神」、それが転じて 「老神」 と呼ぶようになったといいます。
しかし、一般に伝わる伝説は、日光の神がヘビで、赤城の神はムカデです。
例外もあるかと調べてみましたが、アニメ 『まんが日本昔ばなし』 をはじめ、すべて日光がヘビ、赤城がムカデでした。
日光側に残る伝説も同様で、ムカデを1匹殺すと男体山登拝と同じ御利益があるとまで言われています。
赤城山東南麓から平野部にかけての一帯では、昔からムカデは赤城神社の使いといわれ、殺すとたたりがあるとされています。
旧新里村 (桐生市) には、赤城山を御神体しと、ムカデの彫刻を施した 「百足鳥居(むかでとりい)」 が立っています。
「私のおばあちゃんは、昔は赤城様の祭りでヘビのみこしなんて担がなかったと言っています」
と、温泉街で働く20代の女性。
また、「祭りにヘビが登場したのは、昭和30年代になってからでは」 と教えてくれた初老の男性は、「どこでヘビとムカデが入れ替わっちゃったんかねぇ」 と言って笑いました。
昔、老神温泉では旧暦の4月8日は赤城の神が入浴して傷を癒やした日として、湯壺 (ゆつぼ) の周りにしめ縄を張って、一般の入浴を禁じていました。
また、大きなワラ人形を作り、「オタスケ!」 と叫びながら村人が、竹槍 (たけやり) で突いたともいいます。
そのワラ人形が日光の神で、赤城の神への助勢だとしたら……。
いつしか突いていた日光の神を担ぐようになったと考えられなくもありません。
赤城の神はヘビなのか? ムカデなのか?
今となっては、神のみぞ知ることです。
<2014年8月6日付>
2021年01月08日
音のない街
<本来、人間は生活の中では 「音」 と 「におい」 を発するものなのだ。同時に、それは人と人が触れ合うために生じる生活雑臭音だといえる。もし、町の中から音とにおいが消えてしまったとしたら……>
この一文は、今から24年前に出版した処女エッセイ 『上毛カルテ』(上毛新聞社) に収録されている 「いつか見ていた風景」 から抜粋したものです。
当時、すでに僕は、街の中から 「音」 や 「におい」 が消えて行くさまを憂いていました。
若い頃からバックパッカーにあこがれ、アジアの国々を旅していた僕は、きっと今よりも 「音」 や 「におい」 に敏感だったのだと思います。
<人が暮らしている証拠として発せられる音とにおいが、私の聴覚と嗅覚には、逆に新鮮に感じられたのである。けたたましい車のクラクション、せわしない自転車のベル、路地から聞こえる子供たち喚声、そして家々からこぼれてくる生活する音たち。露店の肉や野菜の臭いに混じって、時折、強烈に鼻孔を刺激してくる生活雑水の悪臭さえ、ナチュラルなものとして受け入れることができた。>
「保育園の子どもの声がうるさい」 「除夜の鐘がうるさい」 「盆踊りの唄がうるさい」 「花火大会の音がうるさい」 「小学校の運動会がうるさい」……
昭和の時代には当たり前にあった風景が、平成になり洗練され、そして令和になって消滅しようとしています。
また1つ、全国で音が消える現象が起きています。
視覚障害者に青信号を知らせるために整備されている音響式信号機のうち、8割超が音の出る稼働時間を制限しているとのことです。
理由は、近隣住民への配慮や苦情を受けてのようですが、この稼働停止中に視覚障害者の死亡事故も発生しています。
で、僕は思いました。
なぜ、昭和の人たちは、音に無頓着だったのだろうか?
なぜ、令和の人たちは、音を不快に感じるようになってしまったのだろうか?
そして、僕がたどり着いた答えは、「お互いさまの心」 です。
向こう三軒両隣、助け合って生きていきましょうよ!の思いやりの心です。
思えば子どもの頃は、“うち” も “隣んち” もなく、味噌やしょう油の貸し借りをしていたし、風呂だって入りに行き来していました。
それこそ、夫婦げんかの声だって、筒抜けでしたものね。
僕はエッセイで最後に、こう綴っています。
<不便な町が良いのではなく、人が手をかけた町は、きっと温かいはずである。そしてそこには、その町だけの 「音」 と 「におい」 があるはずなのだ。>
2021年01月07日
自粛+不安=少子化
「来年の出生率は、上がるかね?」
とは、昨年の夏に、行きつけの居酒屋で発した僕の言葉です。
これに対して、隣のカウンター席にいた常連客は、
「下がるでしょう! 濃厚接触しないと子どもは作れませんからね(笑)」
「いや、逆に、やることがなくて、子作りに励むんじゃないの!」
と反論した僕でしたが、結果は、常連客に軍配が上がったようであります。
先日、全国の自治体が受理した昨年の1月~10月の妊娠届の件数が発表されました。
これによると、前年同期比5・1%減という激減ぶりだったといいます。
今年の出生数は、過去最低の80万人を割るという推定が出ています。
初めて90万人を割ったのは一昨年で、推定通りなら、わずか2年で80万人を割ることになます。
この数字は、少子化予測を約10年も前倒しする数字だそうです。
やっぱり、コロナ禍の “濃厚接触” を恐れたことが要因なのでしょうか?
識者の見解は、少し異なるようです。
一番の要因は、「コロナ禍による将来の不安」 を挙げています。
精神的な不安定さが、子作りにもストップをかけてしまったようです。
実は、コロナ禍の不安は、妊娠・出産以前の男女の出会いにも影響が出ているといいます。
それは、“巣ごもり生活による出会いの機会の減少” です。
これにより、婚姻数も著しく減少しています。
結婚するも妊娠するも出産するも、個人の自由ですが、そもそも人と人とが出会えないのでは、それら自由の選択も生まれません。
リモートによる在宅や時差出勤では、なかなか、ときめくような恋とは出合えませんものね。
すべてにおいて受難の年の幕開けとなりました。
負けるな! 若人たちよ!
2021年01月06日
初演日時決定! 『新春神社かみしばい』
たびたび、ブログでも話題にあげている伊勢崎市の浦島太郎伝説。
なんで海なし県なのに、浦島太郎なの?
という疑問から取材を始めると、なななんと! 墓までが存在したのです。
まさに、驚き桃の木山椒の木であります。
ということで僕は、この話を拙著 『民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) に収めました。
すると、地元の新聞やテレビ、ラジオが取り上げ、発売当初から大変話題になりました。
「もしかして、群馬が浦島太郎の発祥の地!?」
まことしやかなローカル伝説は、県境を越え、さる街頭紙芝居士の元へ届きます。
「だったら、この話を後世に残しましょう!」
ということになりました。
※(経緯については、当ブログの2020年9月27日 「宮子の浦島太郎」 を参照)
そして、ついに紙芝居が完成しました!
『いせさき宮子の浦島太郎』
作/小暮淳 (フリーライター)
画/須賀りす (画家・イラストレーター)
演/石原之壽 (壽ちんどん宣伝社・座長)
初口演に際して、民話の地元である伊勢崎神社が会場を提供してくださいました。
ぜひ、お子様連れで、お越しください。
また年配の方には、昔懐かしい街頭紙芝居の世界をご堪能いただけます。
※(会場にて、原作本の販売もいたします)
2021年新春 『神社かみしばい』
●日時 2021年1月30日(土)、31日(日)
10時、11時、12時、13時 (各回30分の口演)
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町)
(悪天候中止、小雨の場合は簡易テントで開催)
●入場 無料 (投げ銭制)
●主催 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
2021年01月05日
温泉考座 (58) 「タダほど良い湯はない」
「料金の高い宿は、お湯も良いのですか?」
よく聞かれる質問です。
高級な料亭や寿司屋が値段の高いぶん、それだけ新鮮で良いネタを使っているように、温泉宿の湯の質も料金に比例すると思われているようです。
もちろん、高級旅館や高価な入浴施設で、湯の素晴らしいところはあります。
ただ私の経験からすると、反対に料金の安いところに良い温泉が多いことに気づきます。
そもそも温泉とは、地中から自然に湧き出してくるものです。
ですから 「自然湧出」 「自然流下」 「完全放流(かけ流し)」 の温泉ならば、コストはさほどかかりません。
しかし、これが地中を掘削して、動力により汲み上げ、タンクに貯湯し、加水や加温をしながら循環ろ過装置を使って、温度を一定に保ちながら消毒をしていれば、設備費や光熱費、人件費がかかってきます。
当然ですが、その経費は宿泊料金や入浴料金に上乗せされます。
またサウナやジェットバスなどの諸施設、エステやアロマなどの入浴後のサービスを充実させていることが、料金にはね返っている場合もあります。
逆に料金が安いということは、人の手が加わらない自然に近い温泉に出合える確率が高くなります。
「外湯」 と呼ばれる共同湯のある温泉地へ行けば、一目瞭然です。
湯量が豊富だからこそ、無料の入浴施設があるのです。
ほとんどの場合が無人で、地元や湯治客が自由に利用しています。
そして浴槽には、「自然湧出」 「自然流下」 「完全放流」 による極上の湯が満たされています。
タダほど新鮮で良い湯はありません。
温泉旅館や入浴施設に求めるものは、人それぞれだと思います。
便利な施設や豪華な料理、徹底したサービスを楽しみにしている人も多いことでしょう。
でも、それらの付加価値は、わざわざ温泉地まで行かなくても、都会でも十分体験することができます。
そこが温泉地である以上、料金に関係なく、第一に求めるものは、“温泉” であってほしいものです。
<2014年7月30日付>
2021年01月04日
あなたは誰ですか?
昨年は喪中だったこともあり、数えるほどでしたが、今年は、また、たくさんの年賀状が元旦から届きました。
時代は変わった、世の中は変わったといっても、やっぱり年の初めに、みかんを食べながら目を通す年賀状は、いいものです。
これぞ、日本の正しい正月の過ごし方であります。
昨年は、コロナ禍の影響で、会えなかった人が多かったせいでしょうか?
今年の年賀状は、いつもの年より、直筆のコメントを添えている人が多かったように思います。
<コロナの影響で、自宅でリモートワークも始めました。>
<早く自由に行動できるといいですね。>
<お会いするのは難しいので、リモート飲み会しますか?>
<今年は早く安心して自由に活動したいです。>
人恋しさが伝わって来るコメントばかりでした。
そんな中、今年もありました!
“差出人不明” の年賀状です。
といっても無記名ではないんです。
住所も名前も書いてあるのですが、誰だか分からない人からの年賀状です。
例年、必ず何通かはあるのですが、その後の努力 (名刺を調べたりして) により、ほとんどは判明します。
講演会や懇親会の席で、不特定多数の人と名刺交換をしているせいなんでしょうね。
社名や名前を見ただけでは分からず、名刺を見て、やっと判明しています。
(僕は、もらった名刺に日付と場所を記入して保管しています)
ところが、会社の名刺で交換しているのに、プライベートの年賀状を出される方がいるのです。
これには、手こずります。
「おいおい、ひと言、ヒントを書き添えておいてくれよ!」
と愚痴りながらも、根気よく、過去の名刺ホルダーから同姓同名を探しています。
今年は、2名いました。
1名は男性。
奥様と連名の年賀状です。
でも、上記の検索作業により判明いたしました。
さて問題は、もう1名の女性です。
まったく名前に覚えがありません。
でもヒントは、ありました。
コメントの中に、「先生」 とあります。
僕のことを 「先生」 と呼ぶ人は、限られています。
講座の生徒さんか、講演の主催者の方々です。
ただ生徒さんの場合、名刺をいただかない人が多いので調べようがありません。
年賀状をいただいてから3日が経ちました。
いまだ不明であります。
あなたは誰ですか?
2021年01月03日
ニュー・イヤー・シネマ・パラダイス
元日の昼過ぎのこと。
ケータイが鳴りました。
「誰だか、分かりますか?」
表示は電話番号のみ。
アドレス登録のない、初めての電話です。
「申し訳ありません。声だけでは……」
「Sです。BのSです」
「えっ……」
その名を忘れるわけがありません。
ちょうど20年前、平成12(2000)年の夏のことです。
前橋市内にあったBという映画館が秋に閉館されることになり、僕は最後の支配人であるSさんを取材することになりました。
それ以前からSさんとは、付き合いがありました。
まだ駆け出しのタウン誌記者の頃、情報をもらいに月参していたのが縁で、フリーになってからもSさんの人柄に惹かれて、たびたび、お茶を飲みに立ち寄っていました。
そんな、ある日のこと。
「とっても残念だが、会社の方針でね。映画館をたたむことになったんだよ。俺の映画人生も、ここまでだ」
そう告げられたときに、僕は決心しました。
「Sさんの映画にささげた半生を記事にしたい」 と……
閉館後、僕らは半年間、毎月会いました。
喫茶店だったり、レストランだったり、そば屋だったり、時にはSさんの自宅へ伺って、古い資料を見せてもらいました。
子どもの頃に、初めて見た西部劇。
以来、洋画に魅せられて、学生時代は東京の名画座に通った話。
そして、憧れの映画配給会社への就職。
僕は、Sさんの人生というフィルムを巻き戻しながら時系列に記事をまとめ、地元の新聞に連載することができました。
「ジュンちゃん、いや、今はもう、ジュンちゃんなんて呼べないね。大先生だ」
「なんですか、それ?」
「その後の活躍は、新聞やテレビで見ているよ。うれしくってね。だって、俺の記事を書いてくれたジュンちゃんだもの! あっ、先生だ(笑)」
「やめてくださいよ(笑)」
あれから20年の時が流れました。
その後、しばらくは年賀状のやり取りが続いていましたが、いつしか途切れていました。
「急に、ジュンちゃんのことを思い出して、会いたくなってね」
「会いましょうよ!」
「それがダメなんだ。入院することになってね」
「えっ、どこか悪いんですか?」
「ああ、まあ……」
病名は告げませんでしたが、近々精密検査を受け、その結果によっては手術をするのだといいます。
「もう85歳だからさ。先は分からないだろ。だからジュンちゃん、約束してよ。無事、帰ってきたら、また電話するから、会ってよ」
「もちろんです」
といった後、そのまま僕は言葉が詰まってしまい、しばらく何も言えなくなってしまいました。
Sさん、絶対絶対、会いましょうね。
電話を待ってますよ!
そして、また映画の話をしましょう。
20年前の、あの日のように……
2021年01月01日
免疫元年の幕開け
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
いよいよ、「免疫元年」 の幕開けです。
これは、まことしやかな俗説ではありますが、この新型コロナウイルスの感染拡大というのは、地球自体が地球環境を維持するために、増え過ぎた人類を淘汰するために行っている自然治癒現象なのではないかと……。
このままでは地球上の人類以外の生物は滅び、人類自体も食糧危機に陥ってしまう。
その前に、最強ウイルスを発生させたのではないか……。
となれば私たち人類は、今、生き残りをかけた地球最大の決戦の真っただ中にいることになります。
でも、ご安心あれ!
我ら大和民族は、古来、“湯治” という温泉を利用した民間療法により、幾多の災厄を乗り越えてきました。
いまこそ、この 「湯治力」 を見直し、最大限に利用して、生き残ってみせようではありませんか!
なにも先人たちは、病気やケガを治すためだけに湯治に通っていたわけではありません。
最大の理由は、“未病” のためです。
農業や漁業で疲弊した体を、温泉の力でリセットし、明日への活力に変えていたのです。
そうです!
免疫力のアップを行っていたのです。
人間の体温は、1℃上がると体内の免疫力は5~6倍になるといいます。
また逆に、1℃下がると30%低下するそうです。
風邪を引いて発熱するのも、白血球がウイルスと戦うため、好条件ととれる37.2℃以上に体内温度を上げるためです。
(一説では、がん細胞は35℃以下で活発になり、40℃以上で死滅するとも)
ということは、体温を上げることが、いかに大切かが分かります。
体温を上げるだけなら、なにも、わざわざ温泉に入ることはありません。
自宅の風呂で十分です。
しかし温泉には、水道水にはない多大なる効果を持ち合わせているのです。
まず、「薬理効果」。
入浴により温泉の成分が皮膚から浸透します。
また飲泉をすれば胃腸からも吸収し、湯気の吸引からも薬効成分を体内に取り入れます。
そして、何よりも最大の効果は、「転地効果」 です。
ストレスの多い日常から離れ、風光明媚で自然豊かな環境に身を置くことこそが、心と体をリフレッシュさせ、“未病” への基礎体力を養ってくれます。
いかがですか?
もし、あなたが、この地球に生き残りたいなら、湯治の力を信じ、免疫力のアップを試みてください。
『温泉で免疫力アップ!』
これが、今年の合言葉です。