2019年10月18日
野栗沢温泉 「すりばち荘」⑤
訃報が飛び込んできました。
群馬県最南端の温泉宿、野栗沢温泉 「すりばち荘」 のご主人、黒沢武久さんが亡くなられました。
78歳でした。
僕が初めて黒沢さんにお会いしたのは、15年前でした。
雑誌の取材で伺い、そのまま泊り込み、夜遅くまで飲み交わした思い出があります。
「これを飲めば、絶対に二日酔いなんてしないから」
と、寝しなにコップで渡された源泉水。
おかげで、翌日はスッキリと目が覚めました。
午前5時、ご主人に連れて行かれたのは、海水を飲むことで知られる南国の鳥 “アオバト” が集まる源泉の湧出地です。
日本全国、鳥や獣が発見したという温泉伝説は、あまたとありますが、ここの温泉だけは伝説ではなく、史実なのです。
その 「魔法の水」 をパイプで引いて、温泉宿を開業したのが黒沢さんでした。
この取材を機に、僕はたびたび宿を訪ね、これまでに3冊の著書に野栗沢温泉のことを書かせていただきました。
※(2014年に出版した『新ぐんまの源泉一軒宿』の表紙写真は、「すりばち荘」です)
最後に黒沢さんにお会いしたのは、2年前です。
やはり雑誌の取材でした。
その時は日帰りの取材でしたが、「昼を食っていけよ」 と言って、うどんを打ってくださいました。
でも、ただのうどんではありません。
源泉水で打ったオリジナルの 「すりばちうどん」 です。
コシがあって、モチモチしていて、幅広で、塩気があって、独特の風味があります。
あのうどんが、もう食べられないなんて……
この15年間で一番思い出深い取材は、2012年8月に掲載された朝日新聞の 『おやじの湯』 でした。
この連載では、実際に温泉宿の主人と僕が一緒に温泉に入り、湯の中で対談をするという新聞史上でも画期的な企画でした。
その年の春、黒沢さんは最愛の奥様を亡くされていました。
その悲しみから食事がノドを通らなくなり、げっそりとやせていました。
それでも、「小暮さんの頼みじゃ、断れねえよ」 と言って、一緒に湯舟に浸かり、カメラに向かって笑顔を振りまいてくださっていたのが印象的でした。
※(当ブログの2012年7月18日「野栗沢温泉すりばち荘②」を参照)
源泉水で作ったオリジナルの石けんやシャンプーに、奥様の名前を付けるほどの愛妻家だった黒沢さん。
大好きだった 「いくこ」 さんに、会えましたか?
ご冥福をお祈りいたします。
Posted by 小暮 淳 at 11:02│Comments(2)
│温泉地・旅館
この記事へのコメント
マロパパ先生(と、つい言ってしまう・・・)
そうだったですか・・・。ご冥福をお祈りいたします・・・。
3年前の7月末、先生の本で、すりばち荘とアオバトさんのことを知り、「おとなの夏休み」と称して、夫と2泊させていただきました。
美味しいうどんもさることながら、ご主人のお話が面白くって、夫と夜遅くまで飲んでしまいました。。早朝のアオバトさん観察も、ご主人の健脚っぷりに本当に
おどろきました。(軟弱なわたしは、山道、どんどん置いて行かれました)
本当になつかしい思い出です・・。ありがとうございました。
そうだったですか・・・。ご冥福をお祈りいたします・・・。
3年前の7月末、先生の本で、すりばち荘とアオバトさんのことを知り、「おとなの夏休み」と称して、夫と2泊させていただきました。
美味しいうどんもさることながら、ご主人のお話が面白くって、夫と夜遅くまで飲んでしまいました。。早朝のアオバトさん観察も、ご主人の健脚っぷりに本当に
おどろきました。(軟弱なわたしは、山道、どんどん置いて行かれました)
本当になつかしい思い出です・・。ありがとうございました。
Posted by ムク at 2019年10月18日 19:22
ムクさんへ
当時、ご主人から 「小暮さんの読者という夫婦が、東京から泊まりに来てくれたよ」 という話を聞いた記憶があります。
ムクさんたちだったんですね。
アオバトの観察も行かれたとか……。
とにかく話が大好きで、人なつっこくて、楽しい人でした。
残念でなりません。
二代目で息子の忠興さんに、湯を守り継いでいただきたいと思います。
当時、ご主人から 「小暮さんの読者という夫婦が、東京から泊まりに来てくれたよ」 という話を聞いた記憶があります。
ムクさんたちだったんですね。
アオバトの観察も行かれたとか……。
とにかく話が大好きで、人なつっこくて、楽しい人でした。
残念でなりません。
二代目で息子の忠興さんに、湯を守り継いでいただきたいと思います。
Posted by 小暮 淳
at 2019年10月19日 18:08
